アフリカに生きる〜愛にあふれた世界を夢見て〜

講師紹介: 相原功志(あいはら こうじ)

1972年11月9日、埼玉県岩槻市(現さいたま市)生まれ。15歳の時にアフリカの飢餓難民の男の子の写真に衝撃を受け、以来アフリカを思い続けた。27歳でアフリカ初上陸。新潟大学医学部卒業後に研修医生活を送りながら準備を整え、2003年(当時31歳)よりアフリカの地に根付く。奥さんであるケニア人ジャシンタさん、2人のお嬢さん(ノゾミ9歳、ヒカリ7歳)とともに、ケニア共和国ナマンガで生活する。クリスチャン。

キラキラ・プロジェクト代表: https://kjkirakira.exblog.jp/

ケニア・タンザニア国境の町ナマンガで、相原さんとそのパートナーのジャシンタさんが地域に人たちと協力して立ち上げたプロジェクト。貧しい子ども対象の保育園、補修教室を運営し、特に貧しく優秀な子どもを対象に奨学金などを提供してきた。さらに、小学校を開校し、より多くの少年少女たちへの広く浅くも愛情を育む内容の充実した支援を目指している。

相原功志と申します。キラキラプロジェクトという教育支援プロジェクトをケニアのナマンガで経営しています。まず幼児教育からお話しますと、幼稚園児がスワヒリ語を覚えるには、いろんな歌を使って覚えます。ノゾミとヒカリに歌ってもらいますと、「moja mbili tatu , nane tano sita・・・」こんな風にスワヒリ語の数を覚える歌です。「habari ya Januari , habari ya februari・・・」で月の名前を歌っていきます。他にも人が1人、2人、3人というのもあります。この人のところを犬や猫に代えて歌います。最後は、悪い子(サタン)はどこかへ行っちゃえ、良い子(神様の子供達)は集まれ!で終わりますが、少し宗教的な意味も含まれています。仕事が終わったらご褒美がもらえる、そのことが神様への賛美でありますように!神様を賛美しよう、ハレルヤ!となります。

具体的にどのようなことをやっているか、その背景を含めてお話ししようと思います。2004年に立ち上げてから15年間いろいろなことがありましたが、最近モットーとしていることは愛の教育をしようということです。現在幼稚園が120人、小学校が220人くらい、合計340人の大きな学校になっています。先生は18〜19人います。2004年には15人の子供でスタートしました。ケニアの首都ナイロビは人口400万人、そこから170kmのところに人口300万人のナマンガはあります。ケニアは郵便配達制度がありませんので郵便物はナマンガ郵便局の300ある私書箱の一つで受け取ります。

経営しているのは私とパートナーのジャシンタで、功志のK(Kenya)ジャシンタのJ (Japan)で ”K&J” と称しています。 私は1972年埼玉県生まれで、高校生の頃からアフリカ難民のために働きたいと思い、医学部を出たのもアフリカを助けるためでしたが現在の仕事は教育分野です。ジャシンタは1974年生まれで10人兄弟姉妹という貧しい家庭でした。当初仕事を立ち上げるに当たっては、NPOは手続きの問題もありコミュニティ活動の団体としてCBOで立ち上げました。2017年からは学校法人に変えてやっています。

ケニアでは子沢山で、ジャシンタの時代は10人兄弟でしたが今でも4〜5人兄弟くらいが平均です。10年くらいは幼児教育だけでやってきましたが、子供を2〜3年保育するだけでは中途半端な教育に終わってしまい成果がでてこないので、2014年にキラキラ学園小学校を開校して、毎年1学年ずつ増やしてきました。今は6年生までを抱えるようになっています。ケニアの学制は8・4制で、政府は6・3・3に変えたいと言っています。

人数が増えるとともに私自身が教室に入って教えることは無理なので、唯一私自身がやっているのは「キラキラ土曜補習教室」です。来たい子供達を集めて塾のようなことをやっています。無料でやっているので大勢来てしまうかと思うと、やる気がある子供達10人から15人でちょうどいい人数が集まっています。土曜補習教室で普段どういう教育をされているか、何がわからないのか、どういう躾がされているのかなどをモニターすることが出来ます。ケニア政府は、今ゆとり教育を目指しており、試験の結果だけではなく5段階で評価しようとしています。土曜教室で試したことを一般の授業に反映して改善することが出来ます。次に後継者の育成として、やる気のある子供たちの中からキラキラのファンを育てることで将来またキラキラに戻ってきてくれることを期待しています。すでに2004年に保育園で育った子供が自分の子供をキラキラ保育園に入れて保護者として戻ってきてくれました。近い将来には教職員として戻ってきてくれることでしょう。

キラキラプロジェクトの資金源は、主に日本の有志による寄付金となっています。日本以外に、フィンランドで1件、アメリカで1件、中国と台湾で数件の支援者はいますが、99%は日本です。他にはアフリカの伝統工芸品を日本で売ってその売り上げをプロジェクトの運営資金にするということもやっています。マサイのお母さんたちからマサイビーズのアクセサリーを購入して、それと同時に学費を払ってもらっています。マサイ族はまだ伝統文化を継承しているのでアクセサリーを買うこともその文化支援になると思います。私だけで10万円買うということはやはり大きいと思います。

貧しかったケニアに経済支援をしていたのはもはや過去の話で、現在は経済発展の激しいケニアで失われてしまった心を取り戻すための「愛の支援」に変わってきています。キラキラの運営はできる限り学費収入で賄おうとしていますが、経済発展の激しい時には物価の高騰を招きますので出費も増大し追いつくことができない状態です。去年の政府による教育改革によって予定外の出費が増えてしまいました。校舎の建築は支援金で賄うことにしていますが、スクールバスの購入、井戸の掘削、などに支援金は使われています。約8メートル四方の教室をセメントとレンガで作っています。3つの教室を作ると240万円かかります。

ケニアの経済成長が国民に影響を及ぼしている状況について触れますと、ケニアで一番問題になっているのは貧困ではなく、お金持ちと一般の格差の広がりです。仕事はたくさんあって忙しい、そのために離婚が増え、家族崩壊が増え、みんながストレスで悩んでいる状態です。その影響で、10年前には午前保育だったものが今では夕方まで保育するのが当たり前になり、昼食も提供するのが当たり前になっています。犯罪も多くなり治安も悪くなっています。ケニアで一番問題なのは、corruption(不正、腐敗)です。汚職、贈収賄、賄賂の類は眼に余るものがあります。キラキラは不正を絶対許さない経理をしています。私がしっかり管理をしている限り、ある程度任せても不正は行われませんが、私が怠けるとすぐに不正が発生します。

ケニアは臨機応変さに欠けるところがあって、スーパーのビニール袋が禁止になった時も、いきなり禁止令が出て、持っているだけで数100万円の罰金が科されるようになりました。これは2017年に始まり、丁度私は民芸品を集めてビニール袋に分けているところでした。仕方がないので新聞紙に包んで何とか荷物を作りました。ビニール袋の代わりになるものとして不織布の袋が出回りましたがそれも禁止になりました。

2003年にキバキ大統領になって民主化が一気に進み経済成長が急速に始まりました。同時に教育もどんどん普及してきましたが、良い点数を取ることだけに集中して、そのためには手段を選ばなくなりました。特に私立校では成績を上げるために管理委員会から答案を盗んで回答を生徒たちに教えることまでするようになりました。その頃教育を受けた生徒たちが今地元の要職に就いており、役所や経済界の上層部にいるわけです。こういう人たちが法律の抜け穴を見つけて土地を略奪し、弁護士など法律に関係した職についた人は自分に役立つ人に便宜を図ってうまく訴訟に勝ってしまうということが行われています。

この数ヶ月後にコンピューターによる全生徒のデータ入力を要求してきましたが、用意されたシステムが動かず、全く何を考えているのかと思わざるを得ません。午前3時にしか開けない重いシステムで、私も頑張りましたが、今は午前3時にやっても動かない、土日にやっても動かないのです。それでいて政府は期日を強制してくるので、全国の校長先生達も呆れていたようです。その上、政府は2か月以内に健康保険、運転免許、年金などすべてのものを登録することを要求してきています。ケニアではこういう作業をするにもインターネットカフェを利用している人も多く、政府の目指していることと一般市民のレベルが全くマッチしていません。

教科内容が変わって教科書が新しくなっても、教科書は手に入らない、4段階の点数表も用意されていないというのが実情で多くの学校がストレスを抱えています。こういう中でキラキラの役割は何かを考えると、混乱に巻き込まれずこれまで通りやっていくことだと考えています。私やジャシンタが愛情を持って接することで、子供達に伝わっていくものだと信じています。キラキラの3本柱として、1)楽しい学園生活 2)自立が促される学園生活 3)才能が伸びる学園生活、を目指してこれからも続けていきたいと思っています。

校舎などのハード面は日本からの支援で賄っていますが、お願いしたいことは、ボランティアでの協力、現地を見学すること、国際的な視野を持って物事を見ることで支援のあり方も違ってくると思います。