
by 米倉史隆
少年兵問題の解説:ページ下段
米倉史隆HP

| 誘拐され兵士にされなくとも地雷や戦闘で負傷する子どもたちも多くいる。 |

| この日、マットレスなどの援助物質が届いた。 元少年兵だった子どもたちは手分けして作業にとりかかる。 |

| 足を怪我し皆と遊べず一人で部屋から外を眺める。 |

| 幸いにも保護された親子が病院を退院し施設にやってきた。安堵の笑みがこぼれる。 |

| 辛い経験をした仲間の無事を喜び歌とダンスで盛り上がる。 |

| 専属のカウンセラーに子どもたちは辛かった日々を語りトラウマを溶かしていく。 |

| 19年間にも及ぶ紛争で誘拐された子どもたちは青年へと成長した。 その長い時間と苦しみは私たちの想像など及ばない。 |

| 不安の中で我が子を抱く母たち。子どもはLRA兵士との間の子である。 |

| TVの時間はみんなの楽しみのひととき。 過去から離れられる時間に少しでも多く触れ、一日でも早く立ち直って欲しい。 |

| 水浴びの時間 子どもたちは兵士たちと無理矢理結婚させられたり、性的奴隷にされた母から生まれた。 いかなる過去を持っていても子どもたちはみなかわいい。力強く育って欲しい。 |
| ウガンダ共和国 ○人口 約26,404,543人(2004年) ○言語 英語(公用語)、スワヒリ語、ルガンダ語、ルオ語、アチョリ語、など。 ○民族 バガンダ族、バキガ族、アチョリ族、カラモジョン族、など。 ○宗教 キリスト教(60%)、伝統宗教・精霊信仰(30%)、イスラム教(10%) ○北部紛争の概要 1894年にイギリス保護領となる。そして、1962年に独立したウガンダだが、独立以来現在までに5度も軍事力により政権移行が起きている。1986年、現大統領ムセヴェニ氏がクーデターにより政権を奪い、ウガンダの内戦は一応は終わる。しかし、北部地域に暮らすアチョリ族はムセヴェニ氏に不満を持っていたため対立が生じ、そして、アリス・ラクウェナという女性をリーダーとしHoly Spirit Movement(HSM)を創設し反政府活動を開始する。1987年には首都であるカンパラまで数十キロまで侵攻するも敗れ、アリスはケニアへ逃げる。その後を継いだのがジョセフ・コーニーでありLord's Resistance Army(LRA)を組織しリーダーとなる。当初、LRAは、北部の人々に支持され受け入れられていたが、方向性を失い政治理念無き反政府ゲリラ活動となる。アチョリ族の中でもLRAへの期待も冷めていき兵士志願者も減っていった。以後18年間におよぶ紛争となっており、戦力の維持のため同胞であるはずのアチョリ族の村を襲い、略奪、子供の誘拐を続けている。また、スーダン政府はLRAへ武器や資金などを援助していたが2002年にウガンダ・スーダン両政府は和解し、スーダン領内にウガンダ政府(UPDF)を駐留させて、「IRON FIST(鉄の拳)」と名称された作戦を開始し3千人以上いたLRAの兵士は1千人以下になっている。昨年末に停戦合意がなされたがLRAはこれを破棄し今年3月以降、また、ゲリラ活動による略奪、子供の誘拐が増え、この紛争は今年で19年目に突入している。 ウガンダ北部紛争と少年兵問題 ■少年兵に関する国際人道法による規定 1949年のジュネーブ第4条約、1977年の第1追加議定書、第2追加議定書には、児童に関する合計25条項が規定されている。 □第1追加議定書 第7条第2項 「紛争当事国は、15歳に達していない児童が敵対行為に直接参加しないようにするため全ての可能な措置をとらねばならず、また、特に自国軍隊に児童を徴募することを差し控えなければならない。15歳に達しているがまだ18歳に達していない者を徴募する場合には、紛争当事国は、年長者に優先順位を与えるよう努めなければならない。」 □第2追加議定書 第4条第3項(c) 「15歳に達していない児童は、軍隊又は、武装集団に徴募してはならず、また、敵対行為に参加する事を許してはならない。」 ■子供たちが戦場で武器を携行している国々 リベリア、スーダン、ウガンダ、アフガニスタン、イラン、イラク、ミャンマー、フィリピン、スリランカ、コスタリカ、エルサルバドル、等が知られる。 (1999年〜2000年の2年間では31カ国から41カ国へ増えた.) ■ 子供たちを兵士にする理由 1)脅しに弱く従順に命令に従い、麻薬等で言う事を聞かせたり洗脳しやすい。 2)ゲリラ戦では小さな子は上手に目立たなく動ける。また、大人よりもスタミナがありブッシュで生き残る可能性が高い。 3)敵が油断しやすい。 4)『補充』が容易であり、逃亡しない。 5)少年だけでなく少女も10代前半ともなれば、兵士たちの性的相手にさせられたり妻にされたりする。 6)武器の軽量化。特にAK−47は子供でも容易に分解、組み立てが出来ると言われている。5500万丁が世界中に出回り西アフリカ地域では1丁6USドルもしない。 ■ナイトコミューター(Night Commuter) ウガンダにはLRAの襲撃を恐れ、また、村を襲われ難民キャンプでの生活を余儀なくされている避難民の人々は30万人とも言われている。ウガンダ政府軍の警備が厳しいグルの街は、近隣の村の人々にとっては安息の地で、夕暮れ時から19時過ぎともなるとグルには周辺の村々から子供たちが毛布を抱え列をなしてやってくる。以前は店の軒先やバスターミナルや学校、教会など街中いたる所にところ狭しと雑魚寝をして朝を待つ姿が見られたが、それでもグルの街には入りきれずブッシュに身を潜め夜を明かす人々すらいた。しかし現在は路上での寝泊まりを禁止し、NGOが運営する街の広場にある避難シェルター、学校、教会などの屋根のある建物に限定し許されている。この子供達の行列はLRAの反政府活動以後から現在まで続いている。この子供達のことをナイトコミューター(夜の通勤者)と呼んでいるのだが、学校が終わると毎晩、数キロも離れた村々からやってくる。なかには、3時間も歩いてやって来る子供もいる。そして、朝になると子供達は学校へ行くため家路に着く。 ■おわりに… 19年におよぶ紛争がもたらしたもの。それは、恐怖と悲しみ、人間の尊厳と命への冒涜にほかなら無い。子供達は目の前で親兄弟を殺され、また、親や友達を殺すように命令され、殺し。命令に従わなければ拷問を受け、拷問を受けずとも自分の代わりに仲間が拷問を受けたり殺される。少女たちは望まぬ結婚を強いられ子どもを産み、兵士の性的奴隷にされ性病やHIV/AIDSにも苦しむ。保護された子供達はトラウマに苦しみ、怪我や病気を背負い未来に向かうため過去と格闘しもがいている。子供達にやってくるはずだった未来が戻ってくる日が一日も早く彼らのもとへやって来てほしい。 取材協力 GUSCO (Gulu Support the Children Organization) World Vision ASO (The AIDS Support Organization) 取材日 2004年8月 米倉 史隆 |
| 米倉史隆プロフィール ●東京ビジュアルアーツ 報道写真学科卒業。 ●2000年のベトナムでの撮影で現地の活気と人々との触れ合いに感動し、勢いあまってベトナムを3周してしまう。以後、タイ、カンボジア、インド、ネパール、パキスタン、メキシコなどで撮影。2004年はケニア、ナイロビ にてアパートを借りウガンダ、ケニア、タンザニアを取材する。 ●現在までの主な取材 マザーハウス『カリガート(死を待つ人の家)』…インド、カルカッタ アフガン難民キャンプ…パキスタン、ペシャワール フライトルメンタ(暴風神父)の孤児院…メキシコ、エミリアノ サパタ ウガンダ北部紛争(少年兵問題など)…ウガンダ、グル キコンバ(スラム)…ケニア、ナイロビ等 ●取材テーマは子どもたちがさらされている諸問題であり、パキスタン、ケニア、ウガンダでの取材は継続的に行う。また、国外だけではなく今後は国内にも目を向け取材活動を続けて行きたい。 |
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