「キラキラプロジェクト」の現状とキ・アフリカケニア支部の活動

(2010/4)

講師紹介:相原功志
ケニアのナマンガでプロジェクトを立ち上げ、保育園を経営

 ケニアのナマンガでキラキラ・プロジェクトを立ち上げて保育園を運営している相原功志です。私は16歳の頃からアフリカに興味を持ち、いつかはアフリカと関わってゆきたいと思っていました。医学部卒業後研修を経てアフリカへの道を歩み始めたわけです。1999キ・アフリカに入会したことから急速にアフリカでの活動の方向性が決まってしまいました。

2001年、私がナマンガのとある保育園を訪ねたとき、ジャシンタは一人で200人もの園児とその保護者たちを相手にしていました。「将来ここアフリカで学校をつくりたい」という私に「そのときは私を雇ってください」と彼女は言いました。このジャシンタが現在のパートナーであり私の妻となった人です。2003年にプロジェクトを立ち上げ、2004年、遂に私達の学校キラキラ保育園の創立を迎えました。ジャシンタは”Mama Teresa ya Namanga !”(ナマンガのマザーテレサ)と呼ばれ、国境の町ナマンガから国境の無い世界へ向けて大きくなろうとしています。

ナマンガはまさにケニアとタンザニアの国境線上にあります。ケニア南部とタンザニア北部は、あの有名なマサイ族の居住地域であり、マサイランドと呼ばれています。ナマンガは地理的にその中心に位置しています。ナマンガの町には様々な部族が集まっているのですが、一歩町の外へ出れば住人のほとんどがマサイです。文明的ではなく、野蛮で田舎者のイメージのマサイですが、実際はとても礼儀正しく、律儀で、尊敬すべき人たちなのです。

しかし、最近では、ナマンガの町が大きくなるにつれて、町の文化や経済に影響され、マサイの暮らしにも変化が生じてきています。ここ数年ナマンガ周辺のマサイの男子の就学率、それにやや遅れて女子の就学率も上がってきています。町の貨幣経済、あるいは干ばつなどの影響で、繁栄する家族と没落する家族との格差が広がってきています。

ケニアとタンザニアの交易が盛んになると、その好景気に乗じてビジネスチャンスをつかもうと、大勢の人がケニア各地・タンザニア各地からナマンガ国境に移り住んできました。90年代に入ると、経済グローバル化の波がナマンガに及び、交通・通信・金融の発達により、国境における小規模な取引の価値は下がり、取引はナマンガを素通りしてナイロビやアルーシャにおいて展開されるようになってきました。ナマンガの経済は一気に後退し、増えつつあった人口だけが貧困の中に取り残される形となりました。人々は職や土地を失い、慢性的な貧困におちいりました。

産業も育たず、インフラもなかなか整備されず、教育現場も、子どもの増加に見合う拡充と質の向上が行われないまま放置されました。80年代以降、ナマンガで生まれ育った若い人たちは、苦労して商売に取り組んできた親の世代の遺産と、経済の崩壊に伴い後退した社会の中で、勤労意欲・夢を失い、またビジネスチャンスもなく努力も報われない、無力な世代となっていきました。このことがますます悪循環となっています。

 ナマンガでは、住民の出身地はそれぞれ異なり、様々な部族や文化が共存しています。不況に伴い、これまで平和に共存していた古き良き共同体の崩壊が危惧されています。こういった中でキラキラではマサイの伝統文化継承を支援し、手作り雑貨を買って日本のイベントで売るなどの努力をしています。大小さまざまな紛争・冷戦、麻薬や銃器の密輸、増加・凶悪化の一途をたどるさまざまな犯罪とそれらに対する過度の取り締まりが、住民の暮らしを不安におとしいれています。後退する経済、教育の荒廃、干ばつや大雨などの自然環境の変化…。そんな中で、たくましく、賢く生き抜いていく道を探っていかなければなりません。

 キラキラ保育園は2004年当初は園児15人でしたが、2010年現在101人になりました。授業料は有料ですが半額くらい納入してもらい、残りは支援しています。このあと小学校へ進んでも5年生で半分に、8年生になると1/3になるので、最後まで続けてもらうための心理的支援として週一回の補習授業も行っています。現在のスタッフは、コージ、ジャシンタ、ンキシロの3役員と、保育士1名、小学校教師3名、近所の人1名、その他3名で取り仕切っています。

 次の目標は8年生の小学校を作ることで、既に5エーカーの土地は確保してありますが、政府の許認可も必要で問題は山積しています。将来的に公的に引き渡すことを考えると、敷地面積、建物はコンクリート、教室の数、教師1名あたりの生徒数、など規定通りに申請して認可を受けなければなりません。その他には、小学校就学支援、補習塾、マサイ文化保護、障害児支援、孤児支援、給水支援などに力を入れたいと思います。キラキラの夢は、平和、幸福、健康、安全の保障、未来を育て国境の無い世界を作ることです。

「ケニア支部の活動」
講師紹介:矢野敏行
キ・アフリカ ケニア支部長

 1月から3月までの概略を報告したいと思います。これは私的なことですが、これまでケニアでずっと働いていました「サミア・アフリカ」という会社を3月で退社しました。日本人会の仕事など余分な仕事が入ってきますから身動きできなくなってきて、自分の仕事に集中したいと思い退社しました。

 1月から3月までに、ボランティア・インターンが2名見えました。田中さん2週間、香山さん1ヶ月、一人は先生、一人はこれから大学を目指すという人で、夫々夢を持って帰りましたので期待したいと思います。香山さんはサイディアで2週間お世話になって、我々が机を提供しているノンコピル小学校へ行って授業を受けていました。英語の勉強をしながら授業の内容を把握して、この4月から小学校の先生になっています。

 また2月にはキ・アフリカの名前が日本人社会に浸透してきまして、関さんというケニアで一番年長の方からキ・アフリカを通じて自分の娘や孫達が使ったおもちゃを寄付したいと言われて、貰いに行ったところダンボールに5箱ありました。多すぎましたので夫々サイディア・フラハ、キラキラ保育園に提供しました。

 私はキ・アフリカとしてケニアの「お団子の会」に入っています。運営しているリーダーはJICAの方なのですが、3月の初めに高橋直子さんのプロジェクトから靴が支給されるということで、希望したところ300足の靴をいただきました。その靴をサイディア、キラキラ、ノンコピルその他の小学校へ贈りました。ケニア全体で6000足あったそうです。一番の活動は「お団子の会」の会合が二ヶ月に一回あります。これはODAとNGOが一緒になって活動している会で、3月は神戸先生の担当だったのですが、都合が悪いということで私がやりました。

参加者は15名、現地活動は荒川さんを通じて、キ・アフリカの説明はJICAを通じてHPの内容を使ってやりました。現地視察はサイディアとノンコピル小学校です。荒川さんや相原さんは第一線で活動されている方ですが、その第一線の方々から言われたことは、キ・アフリカのような活動はとても助かるということです。何故かというと、キ・アフリカは労力を提供しない代わりにお金の支援をしているわけで、これを第一線の方々がうまく活用しています。こういうやり方は助かると褒められました。サイディアでもまとまった金額を定期的に支援していただくので有り難いという事でした。他の方からも、そういう動きをしているキ・アフリカは素晴らしいという評価を受けました。

その他にキ・アフリカはスワヒリ語の通信講座をやっていると報告したところ、これにみんながぱっと飛びつきました。内容については小冊子を持っていましたのでそれで説明し、希望者は申し込んでくださいと言っておきました。JICA出身の方から提案があったのですが、JICAの協力隊の方が現在ケニアに100名くらい来ており、1ヶ月間はジャシーのところでスワヒリ語の講座をやるわけです。そこにこの教材がうまく使えないかということです。その人に聞くと教材が無いというのです。ジャシーのところでは先生の持っているテキストでやっているそうです。それならば何かできるのではないかと、これは問題提起をしておきますので返事をいただきたいと思います。

私的な問題でキ・アフリカとは直接関係はないのですが、都丸さんが去年約3ヶ月間ケニアに来られて、丁度その時が日本人会の日本人学校をどうするかという問題があり、次第に日本企業が衰退する時期にあって生徒数が減って30名になっていますが、これをどうやって増やしていくかということです。現地で結婚して男性か女性かどちらかが日本人の家族が50家族くらいいらっしゃいます。そういう人達を個別に訪問すると、やはり日本語を教えたいと言うのですが、日本人学校の授業料が月3万円で払えないわけです。そういう人達をどうしたら日本人学校で勉強できるだろうと検討しました。その中で都丸さんのお話しでは、ケニアに赴任すると2歳、3歳の子どもが来るというのです。現地で生れる子供達もいますので、やはり幼稚園を作らなければいけないという結論になりました。これから学校運営会で検討していくことになっています。

アンボセリの友人に学校を作ってくれと10年前から言われていまして、それを思い出して50万円くらいで出来るのなら作ろうかという話になり、去年の6月から半年間で開校してみようということになりました。予定通り1月に30人からスタートしようということで始めたところ70人集まりました。無理かなと思ったのですが、ケニアの人たちがとにかくやるというので、当初700シリングだったものを400シリングに落として毎月学費を取りながら3ヶ月間運営しています。先生は4人ですが、学校というのは上に上っていきますので8年目にはどうなるかが問題です。ケニアで稼いだものはケニアに返すという考えで頑張っています。