アフリカに緑を、子供たちに笑顔を

(2018/5)

講師紹介:菅川拓也(すがかわ たくや)

特定非営利活動法人、緑のサヘル東京事務局長。
1956年生まれ。明治大学文学部卒業、八ヶ岳中央農業実践大学(洋菜部)卒業。
1980年より5年間岩手の印刷会社に勤務。
1988年青年海外協力隊に参加、モロッコ王国で印刷技術の指導。
1992年緑のサヘルに参加し「チャド共和国砂漠化防止プロジェクト」調整員。
1995年チャド・プロジェクト現地代表。

緑のサヘルの活動をしている菅川です。2007年にブルキナファソで植林活動を始め10年経ったことになります。まず小学校で活動を始め村落での植林を始めましたが、今では小学校に木立が出来、村々では森と言えるほどに大きく育っています。西アフリカで活動している日本の団体はほとんど無いため少ないスタッフでこれくらいの活動ができます。

サヘルの意味はアラビア語で境界、岸辺という意味です。昔、はるばる砂漠を越えてきた旅人が緑の地を見てやっとサヘルに来られたと言ったことからこの願いを込めた名前になりました。現在砂漠化が進みサヘル地域が少なくなってそこに住む人々の生活を脅かす状態になっているので、それを昔のように改善したいというのがこの活動です。

昔はもっと緑が豊かで、森を切り開いて村を作っていました。チャドは年間1000ミリ以上の雨が降りますので森からの恵みを受けて生活しています。森には狩猟動物がおり土地も豊かで、薪を取ることも出来ました。今空港に到着すると目立つのは家畜の多さです。首都でも牛が歩いていて、それを車が止まって待つという光景を毎日見ます。一体家畜が全体で何頭いるかははっきりわかりません。人口一人当たり9頭ともいわれますが、政府が発表するのは予防接種を受けた頭数ですので、ほとんどの牛は注射を打っていないとすると推定1億以上いると思われます。ヤギも羊も牛も見慣れない変わった品種がいます。アフリカには元々牛はいなかったのですが、サハラ地域が緑だった頃、8000年前にヨーロッパから入ってきた牛の子孫が今でもいます。

人々の生活を見ますと、都市部以外は今でも日干し煉瓦の家に住んでいます。日干し煉瓦は水に溶けますので2年に1回は作り直さなければなりません。食料もまだ自然採取に頼っている部分があり、遊牧している方のテントもあります。ものの売り買いは、お店ではなく週に一度の市場に限られています。食べ物に限らず衣料品や雑貨類、床屋、仕立てなど生活に必要なあらゆるお店が出ます。ものを運ぶのは頭の上に乗せて運びますが、これはバランスが難しく現地の人たちは子供の頃からやっているので背筋が伸びてとても上手に運びます。私は25年くらい通っていますが、一度も運んでいる女性が頭から物を落とすところは見たことがありません。自分で乗せられないほど重いものでも誰かに乗せてもらえば運ぶことができます。

主食は、ヒエかトウモロコシで収穫すると干して叩いて、それを風選という方法で殻を風で飛ばして種子だけにし、さらにこれを粉にして熱湯で蒸してスープなどと共に食べます。どんな村にも祈りの場所があってそれを見ると村の生活レベルがわかります。貧しいものは4本の柱を立てただけの質素なものです。街に行くとモスクがあってそこで祈りを捧げます。

子供たちの生活は、小中学校は義務教育でみんな学校は大好きなのですが、家の仕事を手伝わなければいけないので毎日は学校に行けません。学校は6学年ありますが普通教室は3つで2学年一緒に勉強します。電気がないので薄暗いところで勉強しています。それでも学校はみんな大好きです。学校での飲み水は井戸水ですが、水が出るところに学校を建てる必要があります。案外それを考えないで学校を建ててしまうことも多くあります。1本の井戸で300人から350人の飲み水をまかなえます。子供達の遊びはサッカーが人気No.1です。将来の夢もサッカー選手になってヨーロッパで稼ぐことです。

チャドではお年寄りがとても大切にされています。村の若者が夕食後にお年寄りを訪ねて今日もお話を聞かせてくださいとお願いします。居間の真ん中にランプを置いてお年寄りがこれまでの人生の話をしてくれます。お年寄りが危篤になると、代表の若者が首都までヒッチハイクで行って、ラジオ局の冠婚葬祭番組で老人の危篤を放送してもらいます。それを聞いた近隣の人たちが詰め掛けて最後まで見とりますので孤独死などはありません。

このチャドが今砂漠化にみまわれています。砂嵐は病原菌などを含んでいますので、井戸や食物に入って腸チフス、コレラ、赤痢などを起こすことがあります。年明けに始まる季節的な砂嵐は以前からありますが、森林があれば今のような状態にはなりません。砂漠自体は清潔なものですが、人の生活区域を通ることで病原菌を運ぶことになります。チャドでは5月になるとコレラが流行します。サハラ砂漠に近いある村では、砂漠化が進んで家が砂に覆われてしまい前の家の上に家を建てて2階に住んでいます。朝一番の仕事は、家族総出で砂かきをすることです。40年前には森林があった村ですが、雨が降らなくなり、炊事に薪を使うことから木が1本も無くなってしまいました。砂漠化が進みますと土地の栄養分もなくなり少し育ってもバッタや動物に食べ尽くされてしまいます。何年に1度は飢饉に見舞われます。その時は我々も緊急支援を行いますが、子どもや高齢者の犠牲者が出ます。飢饉が収まってもその後3年から5年の間異様な雰囲気になり活力がなくお通夜のような状態に見舞われます。世界にはまだこのように食べられない人たちがいる訳です。次に困るのは水不足で、自分たちで掘った12m~15mの井戸はほとんど枯れた状態で水が滲み出るのを待って何時間もかけてわずかな水を汲みますが、その水は飲めるような水ではありません。

炊事に使う薪はほとんど無くなってしまい、一番遠い場合では40キロ離れたところまで8時間かけて取りに行きます。当然その場所はよその村のものですから、薪泥棒ということで暴行を受けるなどリスクの高いものです。こういう過酷な生活ですので平均寿命は短く、男性46歳、女性49歳と言われています。

こういうところへ実際に行って何をしたかというと、現地の人たちと徹底的に話し合うことでした。結局まずお腹いっぱい食べたい、きれいな水が欲しい、もう少しお金を稼ぎたいということでした。4番目に木を植えたいと言ってくれましたが、木を植える前に生活の改善を行いました。作物のタネを用意し、できた作物の販売を考え、料理教室もやりました。一番人気があったのは大豆の料理で、その中でも豆乳が喜ばれました。

砂漠化していても作物を作る方法はあり、今やっているのはディゲット法と言って石で20〜30mの低い堤を作り降った雨が流れないようにします。もう一つは穴を掘って肥料を入れておくと雨が降った後草が生えてきます。この二つを組み合わせると穀物畑を作ることができます。水の確保は井戸を掘るしかなく深さ25mの井戸を掘りました。これで劇的に病人が減りました。余った水で周りに野菜を作ることにしました。この井戸一つで300人から350人の人が生活できます。あと薪の問題は、これまでの石を3つ置いて薪を燃やす方法より効率の良いかまどを作ることにしました。薪の量は半分で済み、1年に3トンの薪を節約できます。

現金収入については難しく、緑のサヘルで最初にやったのは石鹸作りで、余ったものは市場で売ることにしました。ミシンを使った洋裁教室もやりました。落花生や植物からの油絞りもやり食料や薬に役立てました。ヤギのペアを貸し出して子供を作って売ることもやりました。養蜂の指導もしました。こういう活動をするには読み書きが出来ないといけませんので青空教室もやりました。このように様々なことをやって生活環境を改善した上で木を植える活動に入りました。木を植える目的は様々で、村に木陰が欲しい、砂が入ってくるのを堰き止めたいなどで、苗木や挿し木で育てました。苗木はモスクでお祈りをしてから植えるなど大切に育ててくれました。苗木の周りには柵を作って家畜に食べられないようにします。1本、1本の木に担当者が付いて毎日見ては水やりや害虫駆除をして、3年で立派に育ちました。薪用の苗木も育てました。この村は果物が無かったのですが、果樹栽培を指導して今では300軒位の農家が果物を作っていて、地域おこしに成功した例です。
NGOやNPOの活動は現地に行って助けてあげるのではなく、現地の人たちの側面支援であるべきだと思います。今では木を育てることの大変さを理解して緑の保護区を作りたいと自ら言ってくれました。1999年から緑の保護区作りに取り組んでいます。看板を立て、薪を切らない、家畜を入れない、などの約束事を決め、6年後には立派な森になりました。

(2018/5)