アフリカを描く―現代東アフリカのみやげ物業―

(2014/2)

講師紹介:井上真悠子

今回は、NPOアフリック・アフリカの事務局員井上真悠子さんをお招きして「アフリカを描く―現代東アフリカのみやげ物業―」というタイトルでお話を伺いました。井上真悠子さんは大学院在学中、タンザニアをはじめとした東アフリカの観光地で、主にみやげ物業に関する長期現地調査を行っていました。現在はスワヒリ語にかかわる仕事の傍ら、不定期でティンガティンガ教室などを開催しています。

東アフリカ、タンザニア随一の観光地であるザンジバルは、1980年代から観光地化が始まり、現在では年間十数万人を超える外国人観光客が訪れる国際リゾート地になっています。観光地化に伴い、外国人観光客をターゲットにしたみやげ物商たちもケニアやタンザニアの各地から地域を超えてザンジバルへと移動してきています。その中にタンザニアの絵として有名な「ティンガティンガ」の絵描きや「マサイ」に関する商品を販売する人たちが多く見られます。

「ティンガティンガ」というのは1960年代後半にタンザニア大陸部のダルエスサラームで始まった絵画で、始めた人物はタンザニア南部のマクアという民族の出身で、彼の親族や同郷の人たちの間で広まっていきました。購買者は当初から現在に至るまで、ほとんどが外国人観光客で、ザンジバルでも売られるようになったのは1990年代後半です。

「ティンガティンガ」がどういう風にして製作されるかを調査しましたが、工房は民家の中庭の洗濯物干し場を借りて行われており、描いている人たちはほとんどが本土から来ている出稼ぎの若者です。描いているのは南部の人が多く北部の人は販売に携わっている場合が多いように思われました。

木の枠に白い布のキャンバスを貼るところから始めます。生地はシーツなどを使っていました。絵だけを買っていく人が多いので、フレームはまたキャンバスを貼って使いまわしをします。先ず水性下地を塗って、乾かしてから油性下地を塗ります。それぞれ乾くのに1時間以上かかりますのですぐには使えません。絵の具も塗るたびに乾かす必要があるため1枚描くのに3日くらいかかります。ブラシとナイフ以外は特別な道具は使わず身の回りにあるもので済ませていました。ブラシとナイフは大切にしていて、これだけは毎日持ち帰っていたようです。

受注生産なので、注文によって何枚も乾かしながら並行して描いていきます。ナイフペインティングの場合は少し重めの絵の具を作って削るというテクニックを使って描いていきます。ナイフペインティングはいちいち乾かす必要がないので1日で仕上がりますし、修正もきき簡単です。描く対象は動物、人物、風景もあります。私も習って少し描けるようになりました。乾くのを待つ間に時間がありますのでおしゃべりをしたり踊ったりして楽しくやっていました。本土から出稼ぎに来ている若い人たちが多いので、ストーンタウンから少し離れたところに間借りをしてバスで通っている人が多く、食事もテイクアウトで買ってきて済ませていました。

出来上がった絵がどのように流通しているかを見てみますと、4月~6月は雨期で観光客が少なく売り上げは最も落ち込みます。8月~12月が観光シーズンで、これに合わせて人の移動も大きく変わります。絵描きさんもハイシーズンにはどんどん増えて工房が手狭になるので、近くに別の場所を借りて何か所にも別れて仕事をします。雨季で仕事が減ると別の所へ出稼ぎに行きますので、工房も少なくなって大体2~3人から6人くらいのグループで仕事場を借りていました。画家たちは、ザンジバルの観光シーズンに合わせて移動するのです。

画家たちは小売業者からの受注によって仕事をしますが、小売業者はみやげものの売れないローシーズンの間も次のハイシーズン用のストックとして、コンスタントに画家から絵を仕入れ続けます。そのため画家は雨期の間も仕事が途切れることはなく、収入はある程度安定していましたが、発注があっての仕事なので画家は仕事のありそうな所へ出張します。

2000年代後半から、小売業者や画家のビーチへの移動が多く見られるようになりました。これは旧市街ストーンタウンが行政によって店舗登録の義務化、課税、景観保護のための清掃費の負担、露天、店外陳列の禁止など圧迫が加えられるようになったためです。また2005年ごろを境にイタリア人観光客が激増し、その多くが西のストーンタウンを通らず、東のイタリア資本によるリゾートホテルへ直行するようになりました。小売業者たちと画家たちの移動は、こういう様々な理由があると思われます。

小売業者の移動は、ザンジバルに限らず広範囲に行われています。商品の多くは個人の業者が手に持てるだけの荷物として持ち込んで小売業者に卸すというもので、関税などもかからない範囲でかなり多くの品物が流通しています。このような商品の流通は始めスワヒリ語圏でおこなわれていましたが、今では南アフリカまで広がっています。また商品の流通も国境を越えたものになり、南アフリカのケープタウンではケニア人土産もの業者が台頭し、ソープストーン、カンバの木彫り、バティックなどを扱っていました。観光地は移動するので我々小売業者もついていくという考え方です。その時々の状況を見て仕事のしやすい所へ出掛けて行き、商品も観光客がアフリカっぽいと思うものであれば国境を越えて扱っているのです。

マサイは東アフリカで最もインパクトのある存在ですが、2000年代前半からナイフで描かれたマサイの絵が数多く描かれるようになりました。この絵は短時間で描けるうえ値段は「ティンガティンガ」と同じなのでこちらを描く人が多くなりました。また観光マサイと呼ばれるマサイがザンジバルの海辺に現れたのはホテルのイベントで観光ダンスに呼ばれたのが始まりのようです。その人たちが住み着いてダンスショーや荷物持ち、門番をしながらお金を貯めて独立し、土産物屋を始めました。そして彼らを頼って親族や同郷者たちが出稼ぎに来ているというのが実情です。ホテルで雇われているマサイの名札にポジション・マサイと書かれていたのには驚きました。

ザンジバルで「真っ赤なマサイの絵」が画家や小売業者の間で大流行したのも、イタリア人客が急増したのも、観光マサイが急増したのも2002~2005年頃です。マサイというのは今や重要な観光イメージなのです。イタリア人はアフリカのイメージとしてマサイを好み、それに便乗して「真っ赤なマサイの絵」が画家と小売業者によって作り出され、観光マサイたちは自分たちのイメージを売りながら「真っ赤なマサイの絵」を仕入れて自分と並べて売っています。

最後に文化人類学の地域研究として考えてみますと、「真正性」が議論されることになりますが、伝統的なマサイの生活を正統とすると「観光マサイ」は「偽物」ということになります。しかし「伝統」というもの自体が形を変えず普遍的にあるものではなく、常に修正されながら不断に創出されているものなのです。特に観光の場では外からのまなざしを受けて修正されやすいということがわかります。

「アフリカはこうあるべき」というまなざしに応えて、観光客が消費するのに心地よい「観光マサイ」が創出されているのです。みやげもの商品もザンジバルという地域的固定を外れ、「アフリカ土産」として作りだされています。観光地で仕事をしている彼らは海外からの情報にも接しており、先進国からの経済的な援助が彼らを卑屈な受益者にしてしまうのではないかと思いがちですが、そういう状況を理解したうえでプライドを持ってその立場を意図的、主体的に利用しているのです。

『ザンジバルにはでっかいサルがいる。でもそいつはアーティストだ、ってな』と言った「ティンガティンガ」の画家の言葉にホッとするものを感じます。「俺たちは先進国の奴らからは『黒いサル』とか言われているだろ。でもあいつら、俺たちの絵を「すごい!」と言って喜んで買うんだぜ。」とニヤニヤしながら、彼らはあえて動物を描き、マサイを描き、プリミティブなアフリカイメージを描いて売っています。