ウガンダ、マケレレ大学留学経験

(2010/10)

講師紹介:坂本栄美
早稲田大学国際教養学部3年生(2009年8月から2010年10月までウガンダのマケレレ大学に留学)

 早稲田大学の坂本栄美です。ウガンダには4ヶ月前までいました。今日は先ず初めにウガンダ留学のきっかけからお話し、そのあとカンパラとマケレレ大学での生活、ケニアへいった時のことなどをお話しようと思います。

早稲田大学の国際教養学部では1年間の留学が基本的に義務付けられています。私がこの学部に入ったのもその留学システムに惹かれたというのが大きな理由でした。そのときは絶対にボストンへ行くのだと決めていました。高校生のとき交換留学生としてアメリカのテキサス州オースティンへ一年間留学しまして、その時にアメリカの生活が好きになってもう一度アメリカに戻りたいという気持ちがありました。そのときには都会に戻りたいと思いボストンに決めていたのです。

それがいきなりウガンダに変わったきっかけは、国際教養学部で初めてウガンダ人女性の留学生に会いまして、どこから来たのと言うとウガンダだと言ったわけです。ウガンダとはどこだろう?と思ったくらい全く未知の世界でしたが、その子と仲良くなるにつれてウガンダに興味を持つようになりました。その子は明らかに裕福な家庭の出で、他のウガンダからの留学生はあしなが育英会という支援団体の援助で来ていました。初め私にとってのアフリカは貧困とかエイズ問題などのイメージでしたが、その子と話しているうちにアフリカイコール貧困という見方はとても悲しいことで、それだけではないということを強く言われて、そこで初めてアフリカへ行ってみようと思いました。早稲田大学はマケレレ大学と提携していますのでそこに留学することに決めました。

早稲大学からは一人の枠でしたので、一人で行くわけですが不安は感じませんでした。ウガンダに着いてカンパラに住む場所も決めていましたが、私の住んでいたホステルはスラムの中にありました。ベッド、クローゼット、トイレとシャワーがあり、嬉しかったのは水洗トイレがあったことです。水しか出ませんでしたがシャワーも付いていたので、ビーチサンダルを履いてシャワーを浴びていました。電気ポットでお湯を沸かして水で割って体を洗ったりもしました。私がウガンダで最初に食べた食事はチャパティ、チキンとご飯でした。最初はあまり食べられませんでしたが、一ヶ月くらいたつと慣れてきて食べられるようになりました。マトケという青いバナナは主食でしたが、蒸してスープと一緒に食べます。これは少し高くて大学の食堂で二百円くらいでした。私が好きだったのはマトケと野菜と肉を煮込んだもので今でも時々食べたくなります。

これがマケレレ大学のメインの門です。いろんな学部がありますが私は社会科学部に留学していました。講義の様子は、基本的に先生がしゃべることを丸々書き取るということでした。英語が分りにくい上にピリオドやカンマまで言われるので、最初は批判的に見ていて全く受け入れることが出来ませんでした。パワーポイントもないしウガンダではずっとこうやって来たのだと思います。最後のほうはもう書き写すこともしませんでした。

これがメインライブラリーです。入り口のところにかばんを預けて中に入っても本は自由に取り出せず、自分で借りたい本を調べて受付のおばさんに申し込むというシステムになっていて、大体場合無いと言われましたので図書館も利用していませんでした。

私の住んでいたホステルはスラムに並列して建っていましたので、外に出ることが出来ず最初の三日間くらいはずっと部屋に閉じこもっていました。ウガンダの乗り合いタクシーはコンダクターが顔を出して行き先を言っているので乗りたいときは合図をして止めてもらいます。定員は十三人くらいで立つということはありませんでした。タクシーが止まると物売りが来たりします。

これはJICAに行った時の写真です。奨学金を出しているNPOあしなが育英会に行った時、丁度カルチャーフェスティバルをやっていまして子供たちの演技を見せてもらいました。JICAの人たちと一緒にベッコウ飴を作るお手伝いをしたこともあります。

私の住んでいた辺りは全く舗装されていなかったので雨になると大変でした。そのホステルに住んでいたケニア人の友達の彼がマケレレ大学を卒業したということで、お祝いのパーティーに招待されて行った事があります。その彼の家は本当にお金持ちでびっくりしました。息子の卒業を祝うだけのパーティーなのに大勢の人を呼んで夜まで続きました。友達との生活は楽しく、女の子たちはみんなきれいにしていました。しかしマケレレ大学の女の子たちは本当にひどくて、いじめまでは受けませんでしたが私が外国人ということで目立ってしまうので差別されていました。仲良くしようと思ってもムズング(外人)扱いで相手にされず、あまりいい思いはしませんでした。以上ですが大体こんな生活をしていました。又あの生活に戻るには少し時間がかかりそうです。