キ・アフリカのボランティア・インターンに参加して

(2016/2)

講師紹介:佐藤佳代
東京農業大学3年生の夏休みに、キ・アフリカのボランティア・インターンに参加
アフリカケニアを初めて訪問し、ボランティア活動を行う

<キ・アフリカのボランティア・インターンについて>
このボランティアは、オーダーメイドのボランティアで参加者の希望によってそれぞれ違った受入れ団体を持っています。

一つは、獣医の神戸俊平先生。この方は野生動物の保護、スラムの支援をされており、さまざまな形でケニアの社会向上に尽しておられます。(可能な時には)スラムの見学、野生動物の保護の現場見学や動物の診療体験をすることが出来ます。ナイロビ市内の見学も担当しています。

二つ目は、サイディアフラハという孤児院です。中学生、高校生の子供たちがたくさんいて、生活を共にしています。代表者は荒川さんという方で、宿舎に泊まりこんで生活することが出来ます。

三つ目は、キラキラプロジェクトで、ケニアとタンザニアの国境付近のナマンガという所で保育園と小学校を経営している相原さんという方です。マサイ族の地域の生活向上を図っています。ここに住み込んで、保育所を手伝うことが出来ます。

四つ目は、ウシリカインターナショナルという所で、元大会社の社長だった矢野さんという方が幼稚園と小学校の経営をしています。地域の生活向上の支援もしていて、今は鶏をヒナから育ててお母さんたちの現金収入にしようという試みをしています。
これらの団体を選んで体験することが出来ます。期間は1~2週間で、希望によっては1年間体験することも出来ます。費用は、現在1日当たり3000円くらいで、今までに17名の方が参加しました。今日はこのボランティア・インターンに参加した佐藤さんにお話をしていただきます。

<佐藤さんのお話> 今お話がありましたボランティア・インターンに参加させていただいた東京農業大学出身の佐藤です。このあと2回ケニアに行きまして、その時の経験も交えてお話ししたいと思います。

ケニアは人口4435万人、首都ナイロビ、民族はキクユ、ルオ、カレ、マサイ等の多民族国家で、言語は英語とスワヒリ語です。私が行ったきっかけは、大学3年生の時に漠然と海外ボランティアをしてみたいと思ったことと、地平線を見たいという思いでした。このボランティアを知ったのは友人の紹介で、その人と2人で参加しました。初めての海外旅行でカルチャーショックを受けたのは、ナイロビ市内で身体障碍者や子供が物乞いをしている様子でした。ケニア政府はこういう状態に対処していないのかと不信感を持ちました。

初めにお世話になったのは神戸先生の所で、スラム街に連れて行っていただきました。そこで先生の給食プロジェクトに参加させていただきました。そこで感じたのは、悪臭が立ち込め人口密度の高いことでした。ここで火の手が上がったら大変だと思っていたところ、実際にキベラで火災が起きて大勢の死者が出ました。給食を一緒に食べましたが、ハエが飛んでいて顔をしかめたところ神戸先生に「This is life.」とたしなめられました。また子供に連れられて少し離れたところの家を尋ねたところ、ソファがありTVもあって普通の生活がそこにあることを知りました。すさんだ生活を想像していましたが、子供が多く明るい世界を見ることが出来ました。

次にお世話になったのは、矢野さんと都丸さんが経営されているウシリカインターナショナルでした。小学校で授業に参加させていただき、子供たちと触れ合い楽しい時間を持つことが出来ました。理科の実験と、紙芝居を使って日本の紹介をしました。公立の学校は人数が多過ぎて勉強が出来ないので、教育熱心な親は私立の学校に通わせるのだそうです。

次にお世話になったのは、サイディアフラハで1週間くらい過ごさせていただきました。ここで育った今26歳の男性は、警察官になっているそうです。おもちゃの凧や人形を持っていきましたが、とても喜んでくれました。ご飯はスクマウィキと豆料理ばかりでした。お菓子はほとんど食べられないので飴玉1個でもとても喜んでくれました。子供たちは歌をよく歌ってくれました。

一度帰国してから2回目のケニア訪問では、荒川さんの紹介でホームステイをさせていただきました。このお宅は比較的お金持ちだと思われますが、電気、水道がありませんでした。セレカさんというマサイのお宅で、親類縁者と大きなコミュニティーを作って生活している様子が印象的でした。ナイロビと田舎では生活に大きな違いがあるのにも驚きました。

3回目に行ったときはケニアの空港が半焼していましたが、滑走路は生きていて大丈夫でした。また国境付近のセレカ家に行きましたが、親を亡くした縁者の子供が3人増えていました。ジョナという10歳の子供がいましたが、幼稚園に通っていました。お母さんは朝早く起きて子供たちが通う学校で給食の仕事をしていました。3000円ほどの月給で4人の子供を養っていました。お父さんはナイロビに稼ぎに行っていて普段は帰ってきません。その上もう一人奥さんを作っているということが分かりました。これが現実なのですが、若い人たちは奥さんを何人も持とうとは思わないと話してくれました。これが三回の訪問でわかってきたことです。

最後に海辺の町へ行ったときに熱帯性の伝染病にかかってしまいました。今では何の病気だったのかわかりませんが、現地の薬が強すぎて意識不明になり、かなり危ない状態だったようです。帰国後保険の申請をしているときにこのことが親に分かってしまって2度と行かないようにと言われています。また行く機会がありましたら子供たちの成長も楽しみです。