ケニアでの孤児院ボランティア体験

(2009/1)

講師紹介:藤田雅子
キ・アフリカのボランティアインターンとして2008年7月から10月までケニアで活動

 藤田雅子と申します。今日は、ケニアの現状についてお話します。
 これがアフリカの地図ですが、ケニアとウガンダに2008年の7月15日から10月17日まで行ってまいりました。高校生の頃からアフリカに漠然と興味があったのですが、大学生の時も決断は出来ず大学卒業後も普通に就職をして正社員として2年間働いていました。それでもやはりアフリカに行きたくてついに会社を辞めて今回行ってきました。

 先ず7月15日日本を出発して16日にケニアに着きました。キ・アフリカ現地スタッフの矢野さんが迎えに来てくださって、その後の3日間は現地で働いていらっしゃる方々を訪問しながらナイロビの観光をしました。これは矢野さんが居てくださったから出来たことです。
そのあと7月21日から8月2日までサイディア・フラハに滞在しました。今回孤児院を三箇所訪問しましたがここが最初の訪問先です。ここでは会報をセットしてナイロビの郵便局へ出かけ日本へ送る、日本での販売用商品を仕入れる、など荒川さんのお手伝いをしました。幼稚園では畑の手伝いもしましたが畑は一人ひとりが場所を決めて担当しています。野菜はスクマウィキ、キャベツ、トマト、マメ、ニンジンなどでした。水遣りも必要ですが、サイディア・フラハでは水事情が良くなっているので水不足の時には水を売っています。

裁縫教室では先生に指導していただいてカンガ生地でスカートを自作しました。あとは施設のイベントとして、ファッションショー、ビーズ作品販売、洋服販売、歌を歌ってドラマを演じるなど楽しい行事もありました。牛糞、灰、水を使ってかまどの修理もしましたし、マサイのエリアへ子どもたちと一緒に行きましたがこの時初めてダチョウを見たという子供もいて驚きました。町に出かけゴスベルやダンスのイベントにも子どもたちと一緒に参加して楽しみました。この後12日までは急遽英語の必要を感じて勉強に通いました。とても良い先生で楽しく勉強できました。

13日にキ・アフリカの個人ツアーで来られた石山さんを迎えに行き、14~15日は神戸先生に案内で石山さんと一緒にナイロビ博物館、キベラスラム、ナイロビ大学を訪問しました。キベラスラムは、ケニア最大のスラムで100万人以上の人達が住んでいます。トタンで屋根と壁を覆ってあり4畳くらいのところに4~5人で生活しています。坂にあるため雨が降ると土間の床を水が流れていきます。驚いたことにとても安いけれど、家賃を払って住んでいるのだそうです。スラムの中にはマーケット、食料品、衣類、金物、薬局など様々な店舗があり、ここで買い物をし、スラムの内外に毎日仕事に出て行きます。ラジオ局もあります。トイレ、お風呂は無くビニールに用をたして捨てる生活です。多くの出稼ぎ労働者が、田舎かから出てきてスラムから都市での生活をスタートするようです。またスラムに住む人が、更に厳しい状況の同じスラムの人を助けていて、ボランティアでHIV患者や老人のケアをする若者の活動団体もあるそうです。

16日からは他のNGO団体絵本作家が中心の「アフリカ子どもの本プロジェクト」と「少年ケニアの友の会」の合同プロジェクトに参加させていただきました。アフリカに入る前に偶然このスタッフの方にお会いして参加することが出来ました。2004年に完成したエンザロ・ドリーム・ライブラリーに引き続き、二つ目の図書館でシャンダ村の学校に図書館を作るプロジェクト(SHANDA Dream Library)でしたが、シャンダまではナクル湖を通り、ビクトリア湖を通ってバスで移動したため途中暴動の跡を見ることが出来ました。

前年に大統領選挙の不正で発生したルオ族の暴動で、暴動のあった地域の建物は真っ黒に焦げており、土台しかない家屋の跡が続き、国内避難民の生活する白いテントが狭い場所に密集している光景は衝撃的なものでした。暴動のあった当時キスムの町は壊滅状態で、キクユ族の店舗は今でもシャッターが下りているところがあります。当時空港はキクユ族の避難所のようになっていたということです。現在キスムの町ではキクユ族はかなり減少し、公務員くらいしか居ないそうです。 反面キクユ族からの攻撃に遭い、ルオ族が生活に戻れない地域もあると聞きました。

 図書館造りの仕事はというと、本棚とベンチのペンキ塗り、外装、内装、屋根塗り、ロックアートのワークショップといって入口の石に子どもたちに絵を描いてもらうというものでした。1400冊のブックリストを作成(スワヒリ語1/3)し、種類ごとにテープで色分けして並べるという作業もありました。

図書館が完成すると「オープニング・セレモニー」があり、ダンス、詩の朗読、テープカット、スタッフの数の記念植樹(樹皮を煎じて飲むと薬になる木)、校長先生のスピーチ、日本の文化紹介、食事会などが行われました。中でもダンスになると子どもたちが別人のように真剣な表情になり、汗を飛び散らして情熱的に踊っているのが印象的でした。また最終日に、学校からスタッフへ突然「卵」のプレゼントがあり感激しました。卵は貴重なものなのです。現地の大人の人に感想を聞くと「とても嬉しい、俺の脳みそは沢山の新しい知識でいっぱいになり、爆発するだろう」と言っていました。この図書館の運営は、今はこの二つのNGOでまかなっていますが、これからはこの中で小さいお金でも集めて司書に支払う方針だということでした。

この滞在期間中23日にKI-AFRIKAの永棟さん(キリマンジャロ登頂14~19日に成功された)がおいでになり一緒に過ごしました。

 このあとナイロビに帰ってきて28日には、資金に余裕のあるイギリス系の団体が支援しているNew Life Homeという孤児院を訪問しました。関連施設がケニア全国に6つあり、訪問したナイロビの施設は高級住宅地にあって、建物も設備もロッジ風ホテルのようでした。ナイロビの病院などから預けられた子どもたちが20名くらい居ました。ここでは欧米人や現地の裕福な人が訪れ、審査に受かった人に養子縁組を行っています。養子に行けなかった子どもたちは、ここから関連施設へ行くということでした。この施設に預けられた子どもたちは孤児であっても様々なチャンスに恵まれており、生活に困らないことはもちろん、教育の機会も大幅に増えるはずだと思いました。

 9月1日には矢野さんのタイヤ工場を見学し、7日にナイロビを発って長距離バスでウガンダへ(22日まで滞在)行きました。バスが夜行のときは、休憩場所の売店が開いていない代わりに物売りの男性がたくさんいます。バスが休憩ポイントに入ってくると、大勢の男性がダッシュして一瞬でバス取り囲みます。すさまじい速さで駆け寄り高いバスの窓に向かって声をかけ、ジュース、お菓子、パン、メイズ、毛布、厚手のジャンバーなどを売り込みます。ウガンダに入ると、長い棒に刺した焼き鳥、バナナ、キャッサバ、足を縛られた鶏、ビニール袋に入ったミルクなどを売りにきました。

出発の合図が分からず一度置き去りにされそうになりましたが、周囲の人が、石を投げてくれて、バスを追いかけて止め無事乗車することが出来ました。後日発見したことは、エンジンを噴かす音が出発の合図だということです。ナイロビを7日の19:00に発ってグルに着いたのが8日の20:00でした。 

 ウガンダのグルでは、これまでアチョリ族が狩猟や牛を飼って生活していましたが、現政権が権力を握った1986年に反政府軍との内戦に巻き込まれ、部族が襲撃を受け、住民の襲撃、略奪、子供の拉致などが行われ反政府軍は誘拐した子供を少年兵にしました。以来20年間平和な時は無く、不安の中で生きてきたということです。

 グルでは現地のNGO、UYAPとアルディナウペポ「東アフリカの子どもを救う会」を訪問し、その活動を見学しました。アルディナウペポは18年前に吉田さんが立ち上げ、ケニア、ウガンダで給食支援、職業訓練所を運営しています。この二つのNGOが共同で経営している少年兵士をなくすためのナイトシェルターも見学しました。600人を収容するシェルターでしたが、子供たちは夕方になると遠くから歩いてやってきます。夜になると焚き火をして昔話をするなど心のケアを重視した活動をしています。住み着いてしまうことを防ぐために食事の提供はしないためただ眠るだけです。

 その他グルでは、職業訓練センター訪問しスカート注文して作ってもらい、授業見学、バレーボール、ダンス、サッカーにも参加しました。UYAPスタッフの自宅や店舗訪問、伝統家屋の大家族の家を訪問するなど興味は尽きませんでした。FMラジオ局、グル大学、病院見学もしましたが、夜の街は賑わっていて治安はとても良いところです。

このあとグルにある孤児院Jude Children Homeを訪問しました。20年前に設立され、すでに400人の子どもが巣立っており、今は82人の子供を9人の先生とソーシャル・ワーカー2人で24時間面倒を見ているということでした。生活環境は現地の人と変わらない質素なものですが、慈愛に満ちた先生のまなざしや雰囲気はとても暖かいものでした。身体障害児の施設と幼稚園も隣接して運営していました。院長が「彼らにとってここは家だから、帰ってきてくれることは本当にうれしい」と言っていたのが印象に残っています。

 この滞在期間中23日にKI-AFRIKAの永棟さん(14~19日キリマンジャロ登頂に成功された)がおいでになり一緒に過ごしました。ナマンガのキラキラ保育園とサイディア・フラハへ行き、ジラフセンターやダンスを見せてくれるところへも行きました。26~27日には現地の日本人会の催す「ふれあい祭り」に参加し、現地で旅行会社を経営している遠藤さんの屋台のお手伝いをしてとても楽しい時間を持ちました。

 あとは観光ですが、少し移動してビクトリア湖のほとりのナイル川でラフティングをしてきました。水量の多い滝のようなところでは3度投げ出され、波にもまれて死を予感したほどです。流れの緩やかなところではゆったりと動植物を観察しました。鳥や爬虫類、白い猿、ホバリングをして餌を取っている鳥なども見られました。朝の9時から午後3時頃までで$135と料金が高いため参加者全員白人だったのが気になりましたが、非常にエキサイティングでした。

 10月に入って、エコツーリズムを行っているところへ遊びに行き、マングローブのある無人島とンゴメニ村で星空を眺めながら、シュラフに包まれて野外で寝ました。満点の星、海、キャンプファイヤー、太鼓の音、歌声、ダンス、手品、ゲームなど、私が大好きな空間、時間、場所は天国のようで、ああ私はここへ来たかったのだと思いました。海から上がる美しい朝日で起床し、ヘナで手足にペイントをしてもらいました。そして最後の滞在はサイディア・フラハへ「また来てね」という約束を果たすために行きました。

 日本へ帰ってきて今まで意識していなかった小さなことに気付き驚きました。日本はきれいに舗装された平らな道、日中は仕事があるから出歩いている人が少ない、一人暮らしのお年寄りが多い、男性の髪が長いなどです。それに比べケニアとウガンダでは一人暮らしのお年寄りが少ない、膚、筋肉の美しさ、強さ、しなやかさが目立ったことです。

 最後に、今回アフリカの魅力に惹かれてケニアに行ったことは間違いではなかったと思っています。 新しい出会いと日本で支えてくれたひとへの感謝の気持ちが芽生え、これからの方針も見えてきました。今後は子どもに関わる仕事をしてゆきたいと思いますので、その方面の資格取ってから具体的なことは考えようと思っています。