ケニアの農業の現状と有機農法

(2011/4)

講師氏紹介:菊池友(ゆう)
2008年6月から2010年8月まで、ケニア、ワンブグ農業訓練センターへ青年海外協力隊員として赴任
(友さんというお名前は友達が100人出来ますようにとの母親の願いが込められているとのこと)

 先ず私が何故農業に興味を持つようになったかというと、子どものころ父親が小さな菜園で野菜などを育てていたのを見て、こんなに小さな種から植物が育つのだということを知ったことがきっかけだと思います。小さな種からたくさんの食糧が作るのは素晴らしいと思いました。東京農業大学、国際食糧情報学部、国際開発学科を2005年に卒業していますが、その後の2年間は建築現場の事務員など専門とは全く関係のない仕事をしていました。そこで2007年にJICAに応募して合格、2008年に技術研修と語学研修を経てケニアに配属されました。

 ケニアの国土は58万3000平方キロメートル、日本の約1.5倍、首都はナイロビで、公用語は英語とスワヒリ語です。キクユ、ルオー、カンバ、マサイなど42部族の人たちからなっています。2006年に大統領選挙が行われましたがこれは民族争いの選挙だったと言えます。宗教は、プロテスタント40%、ローマンカトリック30%、イスラム6%、その他の民族宗教が23%で、これはちょっと意外な気がしました。大半の人たちがキリスト教徒ですが、そのミサも私のイメージする荘厳な雰囲気はまったくなく、祈って歌って叫ぶという別世界のキリスト教がみられました。農業作物はコーヒー、紅茶、園芸作物、サイザル麻、綿花、トウモロコシなどです。

 ケニアへ行って先ず食事のことをお話ししますと、とにかく「ウガリ」でした。ウガリはトウモロコシの粉をお湯で練って火にかけ蒸らしたものですが、これが主食で、付け合せにはキャベツやケールの炒め物、豆スープなどを食べます。味がなく今まで食べたことのない食感で、初めはダメでしたがこれがだんだん病み付きになってきました。厚めの食事用クレープのようなチャパティーもお祭りなどでよく食べます。キクユ属の伝統料理でマッシュポテトの中に野菜を細かくしたものやトウモロコシの実を混ぜたものがあります。あまり生野菜は食べないのですが、唯一カチュンバリというサラダもあります。スパゲッティは家庭ではあまり食べませんが、レストランとなどで食べるものはあらかじめ細かく折ってありました。私たちのように吸い込んで食べる習慣がないのです。3時のおやつは紫色のサツマイモとチャイでした。

 私は標高1800mのニエリという街に派遣され、そこから5㎞離れたところにあるメイシャ村に住んでいました。どこに行ってもそうですが、メイシャ村の子供たちも日本人を見るとみんなカンフーが出来ると思っていて、私も仕方がないのでカンフーの達人ということになっていました。

 メイシャ村の農業は、トウモロコシ、マメの昆作し、ジャガイモ、サツマイモ、ケールなどを作っていました。ほとんどの人たちは1日200シルの賃金で地主の畑で働き、他に自分の畑を面積割で持っていました。一見怠け者のように見えますが、ママは本当によく働きます。子供たちも7歳くらいから大人顔負けに働きます。農業指導と言っても、現地の人と農業省の人たちが上手くいっていないので、なかなかどう活動していいか難しいものが有りましたが、とにかく私は畑に出まくることにしていました。

 有機農法の導入と普及を進めていましたが、実際にはかなりの農薬と化学肥料を使っていました。農薬会社や農業団体が農民を集めて5日間くらい泊りがけで有機栽培の講習会を開いていました。種や苗はほとんどヨーロッパ系の会社から入っていたようです。2008~2009年には大きな干ばつなど気候の変化もあってあまり良い状況でありませんでした。普通は大雨季、小雨季、熱い乾季、寒い乾季があるのですが、このサイクルが崩れてきているようです。干ばつの時には9か月も雨が降らず死者も出ています。これからは政府が灌漑施設の充実を図ることが必要だと思います。

 こんな状況の中で、農民グループと展示農場づくりの講習会や販売ルートの探索、各学校での農園共同作業、料理教室なども開きました。またとにかく状況を知ることが大切だと気付き、農家を訪問してアンケートを実施しましたが、これはスタッフが農民に良く思われていないことから禁止になってしまいました。そこでチャイを囲んでなんとなくおしゃべりをする時間を設けることにしたところ、スタッフと農民も少しは和やかになったと思います。

 豆とトウモロコシの昆作は、窒素固定の意味から理にかなっているのですが、そこに野菜をいろいろ植えるというのは考えてやっているとは思えませんが、感覚的にやっていることが大体当たっているのが面白いと思いました。日本人のように等間隔にきれいにということはありません。干ばつで家畜を失っても明日は明日でどうにかなるという姿勢があって、実際どうにかしてしまう強さには力を貰いました。この40年間で人口が4倍に増えていて、仕事を求めてナイロビに流れるという現象はナイシャ村でも起こっています。