ケニア児童厚生施設での青年海外協力隊の活動

(2017/1)

講師紹介:藤本紗弥香
1989年千葉県に生まれる。
2012年慶應義塾大学文学部美学美術史学専攻卒業。
2012年船橋市役所臨時職員として勤務。派遣。
2016年8月に帰国。

藤本紗弥香と申します。2014年より2年8ヶ月間青年海外協力隊としてケニア共和国に行ってきました。活動する中で協力隊ならでは見えてきたケニアの若者についてお話しさせていただきます。初めはモンバサから少し北に行ったところにあるマリンディが任地でしたが、治安が悪くなったこともありケニア山の麓にあるニエリに任地が変わりました。マリンディは歴史のある港町でバスコダガマが寄ったと言われています。今はモンバサが有名ですが、昔はマリンディが栄えていたようで今は観光地として有名です。スワヒリ語も標準の綺麗なスワヒリ語が話されていました。モンバサからマタトゥに乗って2時間半から3時間のところで、のんびりとした美しい街でした。

ところが任地が二エリに変わってしまい、こんどはキバキ大統領を輩出した町でマサイ族の多いところでした。インフラが整っていて電気も止まることがなく道路も綺麗でした。ナイロビから2時間半くらいの町で、ここで1年近く活動しました。コーヒー栽培の盛んなところで、農業は発達していました。生活態度もマリンディと違い会議なども時間通りに人が集まりました。

リマンドホームという施設に配属され、全国に13校あるうちの2校に赴任することになりました。労働社会保障省の管轄、10~18歳の男女で3ヶ月を限度に入所できるというものでした。日本で言えば少年鑑別所に近い施設で、基本的には男性が多く、窃盗や性犯罪などの犯罪を犯した少年たちですが、鑑別が曖昧なところもあり家庭での虐待や性犯罪の被害者保護の必要な未成年の子供たちも入っていました。年齢も法律では8歳から18歳ということになっていましたが、実際には年齢を偽っていて25歳の男性もいました。3〜4歳の子供もいて、この場合は別のケアも必要になりますので早い段階でレスキューセンターなどに送られていました。犯罪を犯して警察に捕まり保護されて入ってくるのですが、期限は3ヶ月のところ大体は6ヶ月くらいいる少年が多かったようです。一番長くいた少年は6年でした。6年もいるとほとんどスタッフのようになって新しく入ってきた少年の面倒を見ていました。裁判所の判断で家に返すか他の施設に送るかを決めますが、家庭がない、家族が拒否する、本人が拒否するなど、簡単にはいかない事情がありました。

ニエリでもマリンディでも入所者は15人から30人くらいでした。子供達が過ごす部屋は、この会議室より少し狭いくらいのところで1日中いて体育館も中庭もありませんでした。育ち盛りの子供がこういう環境で3ヶ月も過ごすということに大変戸惑いを覚えました。一番まずいと思ったことは、教育設備が全くなく机も先生もいないわけです。トイレに行くのも許可制で1日中小さいTVを見ていました。これでは出所した後も社会復帰ができませんし、コミニケイション能力も衰えてしまいますので、私もかなり強力に各省庁に要求したことで、帰国後少し改善の動きが見られたようです。協力隊として活動する中で、自分が教えるということよりも限られたスタッフの中でどういう風に改善していくかを考えました。例えば、日本の企業から寄付金を集めて小さな図書室を作り、小学校4年生から高校生までの教科書を集め、児童書や地図を置きました。図書室の使い方も「借りたら戻す」ということをしつこく言い続けてやっと正常に保つことができるようになりました。ストリートになる子度は勉強が好きではないのかと思いましたが、そうではなく朝から真剣に本を読んでいました。図書室は本当に感謝されました。だいたいの子供は何年か学校に行っていますので読み書きはできたようです。

3ヶ月に1回くらい日本の小学校とスカイプで交流していました。クリスマスなど季節のイベントや時差6時間の日本の午後の授業を見て楽しんでいました。音楽の交流もあってよかったと思います。公文式のテキストを真似て教材を大量に作り、ラミネート加工をして使っていました。九九の覚え方や算数を教えていましたが面白がってやってくれて進歩が目覚ましく、結果が見えたのはよかったと思います。日本のお書き初めもやって、できた作品はカレンダーにして配っていました。ケニアの人はカレンダーが大好きで部屋に何枚も貼ってありました。環境児童コンテストとして依頼があったこともあり、一度海の絵を描いてもらって日本の阪急梅田にしばらく飾られていたこともあります。色鉛筆を持ったこともなかったので何ヶ月もかけて練習して描いてくれました。スポーツも我々から見るとケニア人は身体能力が高いと思っていますが、球技などは全くダメでやろうとしません。そこでまず職員を集めてスポーツの研修をやりました。まずスポーツがストレス軽減に役立ち、子供達の脱走を防ぐから職員にも役立つ、というところからアプローチしなければ動いてくれませんでした。自分でやって見せ丁寧に何度も教えてもなかなかやってくれないのがケニア人です。しかしここで諦めないで続けていると中には動いてくれる人がいるもので、そういった人を見つけることが重要です。

そのほかの活動としては、青年海外協力隊フィールド調査団というものがあって小林洋介さんがオフィサーとして活動してくれています。またKESTESという奨学金団体でケニアの協力隊によって奨学金を出しています。小さな任意団体なのですが、30年くらい活動していて常時10人くらいの子供に奨学金を出しています。今までに350人くらい支援してきて、初期の頃の方で大学教授になった方が毎年寄付をしてくれています。私はその後方支援として活動してきましたので、ケニア中の学校へ行って将来の進路指導などの相談にのっていました。グッズを作って手売りして資金にしているのですが、Tシャツやエコバッグは人気がありました。

JICAの一員として活動してみて見えてきたことは、JICAは現地でよく知られていますが、何しにきたの?今度は何くれるの?という反応が一般的でネガティブな面が目立ち援助のあり方も考える必要があると思いました。とは言っても中には非常に優秀な子供もいて、サッカー選手になって遠征をしていた生徒もいました。スマホはやはり人気があってストリート生活の子供でも1割は持っていました。農村部でも情報を得る機会がスマホで一段と高くなって情報格差が少なくなってきています。高校生の好きな科目はほぼ100パーセントがコンピューターでした。大学を目指す学生はビジネススタディーで、理由は就職に役立つからで非常に現実的なものでした。将来なりたい職業は、昔は医者か弁護士の人気がありましたが、今はエンジニアかDJだそうです。夢が夢で終わらない世界が近づいてきているようです。

私が接したリマインドホーム出身の学生の中から更生に成功し次世代のリーダーになった人たちを3人紹介します。一人目は、トーヤThoya25歳、ロールモデルとの出会いで、大変な勉強家でした。二人目は、ブライアンBrian26歳、ロールモデルとの出会い、非常に真面目で日本人NGOの正規職員に採用されました。3人目は、ルーベンReuben27歳、ビジネスのデプロマを取得しました。今は本を出版し、独自の講演会を開くなどの活動をしています。全員優秀で努力家だったので周りの人に支えられ奨学金をもらって大学まで進みました。この3人の人たちに施設に来てもらって、どのようにして立ち直って今の生活を獲得したかを話してもらいました。

今後の課題としては、箱作りとその先をどう繋げるかだと思います。支援のあり方もアップデイトしなければ加速度的にインターネット時代になってきています。若い現地のスタッフを活用することは重要な課題です。支援をした後どうなっているか追いかける必要があり、これは日本の教育問題でもあります。