コンゴの人々の生活

(2016/9)

講師紹介:Patrick M. Behuhuma(パトリック・ベフーマ)
2011年に文部科学省の奨学金を得て来日。
明治大学入学、公共政策 (Public Policy) 専攻。
2014年9月卒業、英語教師
2016年1月から DMM .COM に入社。

パリックです。今日は頑張って日本語でコンゴ民主共和国についてお話ししたいと思います。コンゴ共和国というのもありますので間違えないようにしてください。アフリカの真ん中にあって、9つの国に囲まれています。面積はアルジェリアに次いで2番目に大きな国で11の州があり、首都はキンシャサです。内戦の影響で貧富の差が激しい状態は今も続いています。私は日本に来る前は国会でアシスタントとして3年くらい働いていました。人口は8000万人、赤道直下の国ですが、気温は30℃くらいで日本のように蒸し暑くはありません。コンゴ川は水深226mで世界で最も深く、長さは4700kmあります。

コンゴは、金、銀、銅、ダイアモンドなど天然資源を産する世界トップクラスの資源国で、コバルトの埋蔵量は世界の約65%、かつてはウランの採掘も行われており広島市に投下された原子爆弾の原料はベルギー領コンゴ国産でした。輸出の約9割を鉱物資源が占めており、これが紛争の原因にもなっており、これらを扱う企業や政治家だけが潤うという貧富格差を作っています。

公用語はフランス語ですが植民されたのはベルギーです。ほかにスワヒリ語、リンガラ語、チルバ語、キコンゴの4つが認められています。西部ではリンガラ語、東部ではスワヒリ語の影響が強く見られます。宗教は70%がキリスト教で、キンバング、イスラム教、民族宗教を合わせて30%くらいです。教育は、幼児教育2~3歳から、小学校6年、中学2年、高校4年、専門学校3年、大学5年、医師になるには更に2年くらいかかります。ベルギーと同じです。

コンゴ民主共和国の国旗はブルー地に赤と黄色の斜線、黄色の星ですが、王国時代、ザイール時代と、政権が変わるたびに国旗も変わりました。1888年にベルギーの国王、レオポルト2世の私有地として「コンゴ自由国」とされましたが、国王の完全な私有地で鉄道建設などコンゴの近代化を推進しましたが、現地住民は象牙やゴムの採集を強制され残虐な圧政が続きました。これが欧州でも非難的になりベルギー政府が国王からコンゴを買い取り、1908年ベルギー領コンゴになりました。1960年6月30日コンゴ共和国になり1964年にはコンゴ民主共和国としてベルギーから独立しました。カサブブ大統領、ルムンバ首相が就任しましたが、1週間もたたず内乱とベルギー軍の介入で「コンゴ動乱」が始まり、ルムンバ首相は殺害されました。1965年クーデターで実権を掌握しモブツ大統領の一党独裁制が続きました。

1990年4月、民主化要求の高まりから議会は複数政党制への道を開き憲法修正案を可決したが、1997年の第一次コンゴ戦争でモブツ政権が崩壊するまで続きました。ローラン・カビラ議長が大統領に就任し、国名をザイール共和国からコンゴ民主共和国に変更しました。大統領は全権を自身に付与する強権支配を行ったため第二次コンゴ戦争に発展しました。2001年にローラン・カビラ大統領は暗殺され、長男のジョゼフ・カビラが大統領に就任しました。戦争終結へ向けて各派の対話が行われましたが、和平合意により大統領選挙と国民議会選挙が行われたのは2006年7月30日でした。2013年2月24日コンゴ民主共和国を安定化させるための国際連合が後援する協定が調印されました。来年2回目の大統領選挙が行われますがどうなるか分かりません。

コンゴ川の流域のボマは大西洋に通じる大きな港で貿易の拠点になっています。また44000メガの出力を誇る発電所も建設されています。しかし、この電力が一般市民に行き渡らないのが問題です。キンシャサから港への橋は日本の技術で造られました。ビルンガ国立公園にはゴリラやオカピなどいろいろな動物がいます。オカピは日本でも上野動物園やズーラシアで見ることができます。初めは1975年頃日本から天皇陛下がコンゴを訪問した時に援助のお返しとして友好のしるしにプレゼントしたものだと思います。ボノボという固有の類人猿もいます。コンゴは天然資源の豊富な国ですので、それが世界の紛争の原因にもなります。政治家上層部は正しいコントロールの責任があります。

伝統的なコットン生地はパニエと言っていろいろなデコレーションをしてシャツなどを作ります。結婚式や何かのイベントに着て行ってもいいものです。半袖と長袖のものを持ってきましたので、後で見てください。

E-mail:patrick-befufuma@dmm.com