タンザニアにおける障害児教育と作業療法

(2009/9)

講師紹介:清水由美
2007年3月から2009年4月まで海外青年協力隊の一員としてタンザニアに赴任
タンザニアで障害児教育事情や生活について伺いました。

2007年3月から赴任して今年の四月までの2年間タンザニアで仕事をしていました。職種は作業療法士といって障害を持った方々のリハビリテイションと思っていただけば分かりやすいと思います。日本では病院、障害者の施設、老人の施設などで仕事をします。私自身は都内の病院で数年間仕事をしてからカナダへ暫らく行っていました。そのあと仕事に戻ったのですが、以前から興味があって気になっていた海外青年協力隊に応募して採用されました。

こういった医療分野はアフリカではまだ少なく、私の行ったところも初めての隊員で前任者はいませんでした。協力隊には以前から興味があったのでいつかは行くと思っていましたが、まさかタンザニアへいくとは思っていませんでした。自分のキャリアに合わせるとアジア希望で、第3希望がタンザニアだったのです。ですからタンザニアについてはサバンナ、野生動物、キリマンジャロくらいしか思い浮かびませんでした。

とりあえず行ってみた印象は、思っていたより発展していない感じで半年くらいはカルチャーショックが大きかったです。タンザニアの人は大らかで悪く言えばいい加減と言う印象でした。地域格差も大きく南東部のモザンビークとの国境地域はまだまだ発展していないようです。ダルエスサラームにずっといるとタンザニアでありながらまた全然違うわけです。国の政策として一部でエリートを育ててはいますが、初等教育などの質は上っていません。アフリカに対する一般的なイメージは、貧困ということなのですがタンザニアは資源もありますし農産物も豊富です。食べ物も豊富でウガリと揚げ物中心の食事が多いのでメタボの人が多いのも事実です。

日本で2ヵ月半訓練を受けてから赴任し、現地になれるために1ヶ月くらいは首都ダルエスサラームにいました。その後タンザニアの中心部にあるドドマという所に行きました。ダルエスサラームから6~7時間の地方都市で新首都ということになっていますが、まだ機能していないようでした。私の配属先はミウジ・チェシャイア・ホームというキリスト系のシスターが管理運営している施設でした。スタッフは、教員、保母、運転手、調理係など14~15人いました。入所型の障害児の厚生施設で5歳から13歳の子どもたちが30~40人くらい住んでいました。施設は国が作ったものですが運営はキリスト教の団体が慈善事業として任されていました。教員は特殊教育を受けて国から派遣されていましたから半民半官といった施設でした。

昼間は5人から7人のスタッフで30人の子どもを見ている状態で、入所者は知的障害やダウン症、自閉症または運動障害の子どもたちです。入所は2年間が原則ですが中には帰る家がないなどの理由で3年以上いる子供もいました。入所料は年間10万シル(1万円)ですが、それが払えない家庭もあって寄付でまかなっていたようです。

毎日の生活はどのようなものかと言うと、朝起きると8時半ごろから朝ごはんを食べて歯磨きを始めます。そのあと炎天下で遊んでからおやつとチャイの時間になります。チャイが終わると10時半ごろから授業があります。能力や年齢によってグループごとに読み書きの勉強をします。12時半ごろから昼食を食べてその後はお昼寝になります。私はここから自由時間になりました。やっている仕事は作業療法士としての専門の仕事とは言えず、保母さんたちと一緒になって必要なことをやらざるを得ませんでした。保母さんたちは専門知識があるわけではなく普通のママさんなので、そこはこうした方がいいと思ってもなかなか今までのやり方を変えることは出来ませんでした。

訓練と言えるかどうか分かりませんが、ご飯を食べる前には手を洗いましょう、といった基本的なことを教えるようにしていました。おもちゃは寄付などで結構ありましたので私自身は物を買い与えるということはせず、有る物で工夫をして遊ばせていました。

設備はそんなに悪くはないのですが、あちこち壊れていてトイレなども直さないままになっていました。キッチンは屋外で薪を使っていましたが、実は室内に電磁調理器を備えた立派なキッチンがあり、それも壊れていて電気ももったいないので使わないという状態でした。いろんな支援団体から寄付してもらったもので冷蔵庫もあるのですがそれも壊れていました。支援されたお金の使い方もめちゃくちゃで、もう少し何とかならないのかと常に思っていました。洗濯機も水と電気を使うからといって使っていないという状態です。

作業療法士という資格の人はいなかったもので、自由にやっていいと言われながらなかなか受け入れてもらえない状態でした。これまでに外国人が来てはお金や物を置いて行ったこともあり、何かにつけてお金や物を期待されるのには抵抗がありました。介助や掃除をすることも必要なことではありますが、私はこんなことをするために来たのかなという思いは常にありました。自分自身もこれまで子どもの施設で仕事をしたことがなかったため最初の一年くらいはどういう風に処理するべきかと悩みましたが、現場の人たちと同じ視線で仕事が出来ていい関係は持てたかなと思っています。

二年間手探りでやっていくなかで、やはりなかなか変わらないのかなという思いがあります。お金や物はあげないというスタンスで通しましたが、また元に戻るのではないかと思います。ジャイカで後任を入れるかどうかは今後の問題ですが、私自身としては単なるマンパワーであるならば入れなくてもいいかなと感じています。いろんな海外の団体が入ってきている団体なので、あまりそれに依存させるのも良くないと思いました。

障害者を取り巻く現状という点では先進国とは大きな違いはありますが、障害のタイプや社会環境の違いに気付きました。医療制度やバックグラウンドの違いによって、助かるものも助からないという事実があります。交通事故も非常に多いですし、薪を使うために火傷をすることもあります。反面日本で見られるような重い障害の子どもは少なかったのですが、これは医療の関係でそういう子供たちは生き残っていないということだと思います。障害者に対する社会保障や公的施設の問題はまだこれからの課題です。まだバリアフリーの概念などはないレベルですが、手作りの自転車を改良した車椅子などを使って逞しく生活している様子が見られました。また障害のある人に対する偏見は少ないようです。

2年間の活動を振り返ってみて、非常にいい体験と勉強をさせてもらったと思っています。JAICAの隊員として赴任しましたので税金がどういう風に使われているかについても実感できて良かったと思います。相手先が求めていることと行く側とのミスマッチはよくある事ですが、思うように仕事が出来ないということはありました。また今ここでその経験をお話しする機会を与えていただき報告できたのは良かったと思います。少しでも今まで支えてくださった方々への還元になればと思います。