タンザニアにおける青年海外協力隊の活動状況

(2017/9)

講師紹介:吉野龍史
東京都出身、大学で理学療法学を専攻し2010年より都内の急性期総合病院、老人保健施設で4年間理学療法士として勤務。2014年6月より2016年6月まで現職参加制度を利用し青年海外協力隊に参加。理学療法を任地に広め、途上国の人たちの健康に寄与したい、という思いを持って現地の人たちとともに活動されました。帰国後は元の職場に復帰。

吉野龍史です、よろしくお願いいたします。青年海外協力隊への参加動機からお話しますと、中学生くらいから海外への憧れが強く、海外で働きたい、異国で何かにチャレンジしたいと思い続けていました。そこで大学卒業後、都内で急性期総合療法士として4年間勤務した後、青年海外協力隊に参加し理学療法士としてタンザニアへ赴任しました。

任地はタンザニアのムトワラ州ネワラ県で、人口約20万人、マコンデ族の多い地域でした。平均気温は15〜30℃ですが、標高900mで朝晩は冷え込むため長袖と毛布は必須でした。食事は、とうもろこしの粉を水で練って蒸したウガリが主食でおかずは豆(マハラグエ)料理がほとんどでした。宿舎は、自分で南京錠をつけるなどの戸締りの管理は必要でした。水道が設備されていなかったため2リットルの水で体を洗いトイレを流す水も自分で汲んでくる必要がありました。治安については、自分でできる限り注意をすることとともに任地の人たちとの信頼関係を築くことが大切でした。

配属された「ムトワラ州ネワラ県立病院」は、診療科として内科、外科、小児科、産婦人科、歯科、眼科、放射線科があり、クリニックとして母子保健、HIV関連の部門がありました。病棟は9棟で病床数155床でした。この規模で医師15名、看護師80名、看護助手60名で処置するのはかなり無理があり慢性的な人材不足でした。

私への活動要請は、まず理学療法科の立ち上げから始まり、理学療法サービスの提供、同僚への知識と技術を伝えることでした。とりあえず場所の確保ですが、ゴミと埃だらけの倉庫を自分一人で何とかして診療環境にしなければなりませんでした。頑張って理学療法室を完成させましたが、理学療法とは何かを理解してもらうのが大変な仕事でした。何故理学療法が必要なのか、どんな症状の人を対象に、どんな診療をするのか、についてプレゼンテーションをし、展示物を作成し、ビラを配り、院内外に広く理学療法の必要性を伝えることから始めました。患者からは医師とみられるため、薬の処方、レントゲン等の検査を期待されるため、理解されるまでに時間が必要でした。

活動上大切にしていたことは、スワヒリ語や現地語の問題、電気、水道などインフラ整備ができていないことを言い訳にしないことです。自分にできることを積み重ねて少しでも貢献できるように、現地の人たちに溶け込めるようにコミュニケーションを大切にしました。

その一方で薬の処方やレントゲン等の検査のオーダーの仕方を指導し、難渋する症例に対しての評価、診療のフォローでお互いの不足している部分を補い合って信頼関係を作るように努力しました。全病棟を回診し状態が不安定な患者への問診、診察、理学療法への対象に関わらず血圧測定などの診療を提供しました。その結果2年の間に次のような変化が現れました。1)理学療法の必要な患者をスタッフが把握し、外来病棟から直接依頼が来るようになった。2)ギプス固定を外す前のレントゲンのチェックが義務付けられるようになった。3)問診だけではなく、血圧、体重など客観的な評価を元に診療を行うようになった。4)医師同士が各病棟をフォローし合うようになった。そこで、現地理学療法士の雇用を院長に依頼しましたが、残念ながら予算の関係で任期中に配属されず専門的な技術移転が行えませんでした。そのためやり残したことといえば、後任のスタッフが得られず理学療法科の引き継ぎが出来なかったことです。

2年間を通じて学んだことは、水がない、炭で火を起こす、鶏を捌く、などの体験をし、当たり前だと思っていた身の回りのことに感謝することを覚えました。おかげでチャレンジ精神が身につき、信じて続けていれば誰かが助けてくれる、様々な困難に立ち向かって、どんなところでも生きていけるたくましさが身についたように思います。日本では経験できなかった疾患を担当し、限られた環境で工夫してリハビリテーションを提供することで、理学療法とは何か、自分とは何かを考える軸ができました。ご静聴ありがとうございました。

(2017/9)