ベナンの紹介とそこに住む人々の生活

(2016/3)

講師紹介:Egueh Ernest(エゲ・アーネスト)
在ベナン人高等理事会ジャパン事務局長
2000年に観光目的で来日し、その後ボランティア活動などに従事。
日本人女性と結婚、現在はマシンオペレーターとしてエンジニアリング会社に勤務。

只今ご紹介いただきましたエゲ・アーネストです。ベナンはどういう国で、どういう人々が住んでいるのかを、お話ししたいと思います。最初三鷹に住んでいましたので、三鷹の市役所に行って相談し日本語を勉強しました。今も漢字を勉強しています。最初にベナンの大使館が作ったビデオがありますので、それを見ていただきます。

ベナン共和国は、面積112,600平方キロ、人口1000万人、首都はポルトノボで、1960年にフランスの植民地から独立し、ダホメ共和国となりました。その後5度のクーデターを経て、ベナン人民共和国になりましたが、1989年に社会主義を放棄して「ベナン共和国」になりました。
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北はニジェール川、南はベニン湾に挟まれた風光明媚な国です。北部はサバンナと半乾燥の高地で、人口は南の海岸平野地帯に集中しています。ベナンの歴史を見ると、奴隷貿易の時代を見逃す事は出来ません。これはヨーロッパ人が来て直接現地の若者たちを捕まえて買ったと思われがちですが、事実は17世紀に成立したダホメ王国がヨーロッパ商人との奴隷貿易を主な収入源にし、武器の輸入をしていました。1730年にはナイジェリアのオヨ王国によって服属されましたが、その後も周辺国を軍事的に攻撃して繁栄しました。奴隷として連れ去られた子供は死んだものとされ、お葬式も行われました。”Gate of no return”は有名なモニュメントになっています。今は名前が変わって、「若者たち帰ってきてベナンを発展させてください」という祈りが込められています。

言語はフランス語が公用語で、フォン語、ミナ語、ヨルバ語、などが話されています。英語は第2外国語として学校で勉強します。フォン語は17世紀のダホメ王国の言葉で全国どこでも通じます。ダホメ王国の戦士は女性で、これがアマゾネスの原点です。いろいろな王国がありましたが、王様を守るのは女性だったので、国を守る戦士も女性になっていきました。

ヨーロッパ人が入ってきた時も戦士たちは王様の指示で動いていますから流血の戦争にはなりませんでした。ヨーロッパ人はビジネスが目的で、地下資源などを持ち帰って自分の国で加工するために、現地人を使って資源を掘り出して船まで運ばせました。奴隷貿易に関しても、ヨーロッパで作ったものを王様に渡して、その見返りに奴隷や土地を受け取っていたのです。王国同士の戦いで負けたところから若者を連れてきて、元は王様の僕にするためだったものを奴隷として売るようになりました。その後奴隷貿易がヨーロッパ人によってビジネスとしてエスカレートしたことは、アフリカの発展が遅れたことと深くかかわっています。

初等教育の6年間と中等教育の4年間は義務教育となっており、公立校の授業料が無料になったことから就学率は上がっていますが、地方では子供の労働力に頼ることもあり、3人の子供のうち1人だけを学校に行かせて、後の2人は応援するという状況もあります。識字率は50%位です。選挙などは現地語のラジオ放送や写真を使って有権者は投票できる仕組みになっています。

王国時代は戦争が多かったのですが、フランスの植民地になってからは、フランスのやり方を学んでいろいろな政党を作りました。ダホメ王国は兄弟の血を流して大きくなったので、もう血は流したくないという思いから平和な国になりました。ナイジェリアに比べると産業資源も少なく人口も少ないですが、ナイジェリアは紛争が多いので安全なベナンを経由してビジネスを行う傾向があります。フランス系ビジネスは資源を持ち帰ってフランスで加工しますが、イギリス系ビジネスは現地に工場を作って製品化するという違いがあります。

宗教はブードゥ教が50%、カトリックが40%、あとはイスラム教などです。主な産業は農業で、綿花、パームオイルなどが輸出農産物です。原油には恵まれていませんが、微粒子状ダイアモンド、チタン、スズなどが採掘されています。フルーツ、カシューナッツ、サトウキビなどは豊富に栽培されています。とにかく平和を愛する国で、発展し続けています。私も日本の折り紙を持って訪問しました。