マダガスカルとアフリカの周産期医療

(2015/6)

講師紹介:森田恵子(産婦人科医)

平成24年3月富山大学医学部卒業、
平成24年4月から26年3月まで富山大学附属病院で初期研修医、
平成26年4月から現在東京都立広尾病院産婦人科で後記研修医
学生時代に訪れたマダガスカルを旅行し、アフリカの周産期医療の現状見てきた
※周産期医療(出産期前後の母体、胎児や新生児に対する医療)

今産婦人科研修医4年目です。学生時代に卒業旅行でマダガスカルへ行った時のお話をしたいと思います。ヨーロッパやマチュピチュへも行けましたが、人の行くところへは行きたくないし、星の王子様のバオバブの木を見たくてマダガスカルにしました。私は埼玉県所沢市出身で、富山大学を卒業しています。大学時代はバレーボール部や学生のNGO団体に所属していました。医者を目指したきっかけは親が医者だということもあり、小学生の時に見た写真で地球の裏側で苦しんでいる人たちがいることを知り、健康でないと何もできませんので医者になろうと思いました。

アフリカ本土へは行ったことがありませんが、ぜひ仕事で行きたいと思ってとってあります。マダガスカル共和国は、面積は日本の約1.6倍、人口2357万人で、首都はアンタナナリボです。バンコクから10時間くらいで行けます。民族構成はマレー系がほとんどで、もとはボルネオ島から来た人たちで構成されています。言語はマダガスカル語とフランス語で英語はほとんど通じません。宗教はキリスト教41%、伝統宗教52%、イスラム教7%になっています。通貨はアリアリで、1ドル約2393アリアリ、1000アリアリが38円くらいです。

マダガスカルは、元ゴンドワナ大陸でフリカの一部が分かれてできた国です。西暦1世紀前後にマレーシア、インドネシア、ボルネオ島からポリネシア系の民族がやってきました。1500年にポルトガル人がマダガスカルを発見し、その後イギリス人やオランダ人1643年にフランス人がやってきてその影響を強く受けています。19世紀にメリナ王国という国が栄えマダガスカルを統一し、植民地化は免れましたが、王様の死後フランスの統治下になりました。

ここからは10泊12日の後輩と2人旅のお話をしたいと思います。後輩が出発前にインフルエンザに罹ってしまい、発熱したままの出発になりました。旅の経費は、バンコク、マダガスカル国内の移動を含めて20万円、現地で旅行社に払ったお金が4万円、また6万円を換金しましたが、後で6000円分足りないことが分かりました。あまり旅行社を使いたくないと思いながら、初日だけは迎えの車とホテルを予約していたのは正解で、飛行機が遅れて暗くなってしまいタクシーもなく真っ暗の中でホテルを探すのは不可能でした。

タクシーブルースというマダガスカルの乗合バスに乗ってサザンクロス街道を4日間にわたって旅をし、そのあとは飛行機を使う予定でした。超満員の小型バスで舗装されているサザンクロス街道を通って田園風景の中を移動しました。途中でトイレ休憩と食事をしましたが、ゼラチン質の棘のあるもので、これはやめて小石の入ったご飯とスープだけにしました。牛とも遭遇しましたが、牛はマダガスカルの人たちにとって神聖かつ農耕も手伝ってくれる大切なものなので、牛が通るときにはバンも止まって待ちます。バンが止まると物売りが来てその時に食べたよく分からない食べ物で後に腹痛に見舞われてしまいました。3時間バスに揺られてアッチラという初めての街につきました。バスが止まると外国人だということで珍しがられ、子供たちも集まってきましたがフランス語が分からないので何もできませんでしたが、撮った写真を見せてあげると喜んでくれました。

ここで2台目のバンに乗り換えてまた田園の中を移動しました。2時間ほどでアンベスタという今日の目的地に着きました。ホテルは予約をしてありませんでしたが部屋も空いていて英語も通じるホテルに泊まることが出来ました。観光客はほとんどフランス人で、ハイシーズンになるとフランス人のグループはジープを借り切って移動するようでした。ここで温かいご飯チブゲを食べることが出来ました。

翌日は後輩の体調が悪いので水とパンを置いて、私1人で町から50㎞の所にある村まで行きました。町に2人しかいない英語の話せるガイドの一人ロジャーに案内してもらいました。2週間に1回開かれる町のマーケットは、川沿いの小高い所にありましたが、10㎞以上離れたところから商品を運んできているそうです。駕籠には生きたニワトリ、干した魚や日用品など何でもあります。人だかりのあるところではちょっとした賭け事もやっていたようです。こういう町を見ながら行くと小さい村が点在し始め、一回りすると3時間くらいかかるところを1時間半で少しだけ見てきました。診療所もあるのですが医者がいないということでした。山の上には伝統宗教のお墓があり、たまに十字架も立っていました。ラフィマリニという村を見学しましたが、この名前は米を欲する人々という意味だそうです。子供たちはとても陽気で私の名前を何度も叫んでくれたのはうれしかったです。村一番の村長さんの家を見せてもらいましたが、家の中で炊事をするので中は煤だらけでした。

翌日は後輩も少し元気になったので、またロジャーにガイドを頼んで一緒に出掛けました。学校も4つくらいあって制服の色がそれぞれ違います。トイレ休憩のときに子供たちが寄ってきますが、ここの子供たちは私たちを怖がっていました。目的地に着いたときはもう真っ暗で、ロジャーの連れてきてくれた案内人に懐中電灯で照らしながらホテルまで連れて行ってもらいました。マダガスカルのグランドキャニオンと言われる国立公園のそばに泊まりましたが、朝になってみると素晴らしい景色でロッジもきれいでした。公園にはチケットを買って入り、公園のガイドに案内してもらいました。車が何度もスタックしてしまい私たちも降りて待っているところへフランス人のジープがやってきて乗せてもらうことになり助かりました。

伝統宗教では岩の間にお墓を収めるようで、そのお墓を見ることが出来ました。ここでやっとマダガスカル固有のサルに会うことが出来ました。ワオキツネザルとシファカです。サソリ、ヘビ、トカゲ、カメレオンや大きなバッタがいました。天気も良く景色も素晴らしいトレッキングの一日でした。

翌日は、最終目的地に向かって音楽を鳴らしながら走るタクシーブルースにまた乗って移動しました。最後はいいホテルでシャワーを浴び、きれいなベッドでゆっくり休むことが出来、モザンビーク海峡がよく見えて感動しました。ここからは飛行機で移動してキリンギ国立公園へ行きましたが、ここで初めてバオバブの木を見ることが出来ました。樹齢400年の木もあり、これだけたくさんバオバブの木が並んでいるところはアフリカでもここだけだということです。小さいバオバブは普通の木のようですが、年月が経つうちに逆さまに生えているように見える独特な姿のバオバブになります。翌日はまた国立公園を散策して過ごしました。

最後にアンタナナリボではお金が余っていたのでいいホテルに泊まりました。街を歩いてお土産を買い、タクシーに乗ろうとすると行先を聞いて、その分だけガソリンを入れるのが印象的でした。日本人はどこへ行っても中国人だと思われますが、マダガスカルには中国人は全くいませんでした。中国料理屋もマクドナルドもなく、コカコーラはありました。やはりフランス統治の影響で食べ物などにもその名残が感じられました。電化製品はあまり使われていませんでしたが、携帯電話だけは異常に普及していました。

付け足しのようですが、周産期医療の話をしますと、出産年齢は10歳代から30歳代まで、病院にアクセスできないため自宅出産が多いようです。5歳までの死亡率が高く、母親も16人に一人は死亡しています。基本的には完全母乳栄養です。清潔な水がないためミルクで育てるのは難しく、また一度ミルクを飲ませ始めると母乳が出なくなってしまいます。日本では12回検診を受けますが、マダガスカルでは4回受けているかどうかも分かりません。妊産婦死亡率も新生児死亡率も、日本はもうこれ以上減らすことが出来ないところまでになっていますが、アフリカはまだ高い状態です。