マリ難民キャンプに対する緊急無線連絡網設置支援事業を通して見えた現地の状況

(2013/2)

講師紹介:萩原政幸
認定NPO法人国際アマチュア無線ボランティアーズProject Manager

 萩原です。今回はサハラ砂漠での活動についてお話ししたいと思います。今タリバンの活動が北アフリカに影響し始めており、それによってマリの難民が大量に出ているので、去年の11月にマリの難民キャンプに無線基地を作ってきました。

 私は長くパナソニックに勤めていましたが、退職後先輩のやっておられたアマチュア無線の団体に入れてもらい海外に無線基地を作るボランティアを始めました。モーリタニアのチシットという所に無線基地を第4次まで作ってきたのがアフリカでの最初の仕事でした。

2008年から2009年にかけて郵政にあった預金を使って無線薬局というものを作りました。砂漠で病気に罹ったら助かる率が非常に低いので、現地のスタッフと相談して富山の薬売りの発想で薬を置くことを考えました。我々の無線基地を活用して現地の医師と連携し薬の指示を受けることにしました。次に手がけたのはギネアビサウの300ほどある美しいサンゴ礁の島で、遠浅の海の中を我々は機材を担いで上陸しました。

2011年にマリのニオロというころにモーリタニアとの連絡網を作ってくれという要望がありました。ここはトアレグ族の地域でマリとはまた違った民族の土地です。一生懸命計画書を作ってやっと予算が下り、さあ行こうとした時に外務省から現地の安全性を確認してからにするように言われ問い合わせたところ何とアルカイダの活動で最悪の状態だということがわかり、中止することになってしまいました。

2012年にはマリに23万人の難民が入ってきており、その難民キャンプに無線基地を作ることになり私も行ってきました。ハラ砂漠は860万平方キロ、東西5000キロという広大な砂漠で日本の25倍あります。今このサハラ砂漠が少しずつアルカイダによってアフガニスタン化しています。

2011年に北のチュニジアにいたアマルという歌手が「拝啓大統領様」というラップをやって、早く私たちも民主化をしなければいけないと歌ったことから若者の賛同を受けアリ大統領が退任して武力を使わない革命が起きました。この平和裏の革命は「ジャスミン革命」と呼ばれております。ところが2011年の1月にムバラクさんは倒されてしまい、同じ年の10月にカダフィさんも亡くなりました。実はこれまで諸国の独裁者がイスラム化を抑えており、カダフィさんやムバラクさんがアルカイダを阻止していたのです。

イスラム教徒16億のうち北アフリカにはイスラム原理主義と言われる過激派が10%おり仕事のない若者が多くいます。このあたりの広い地域には520万人のトアレグ族が住んでいます。放牧をしながらラクダに乗って移動する勇猛果敢な民族でアラブの血を継いでいます。2011年にアラブの春のあと2012年にかけて武器を持った傭兵が帰ってきて、北部のトアレグ族はここを独立させようとして北部を占領してしまいました。そのうえアンサルディーンというアルカイダと手を結んでしまったのです。

マリは1905年にフランス領になったあと1960年に独立を果たして以来民政化されており、非常に温厚な人柄のマンディー族の国です。そのマリが1500万人のうち100万人しかいないトアレグ族に取られてしまいました。そこで西アフリカ共同体が立ち上がって何とかアルカイダを阻止しようとしましたが、国連も資金は出すが軍隊は出さないということで、フランスはNATOにも働きかけましたがNATOも今回は動きませんでした。西アフリカ15か国がアルカイダ化されていますのでアルカイダと戦うことには躊躇しているのです。そこでフランスは1月にマリを空爆しました。これがきっかけで今回の日本も絡むアルジェリア事件になったといわれています。

こういう一連の事件のおかげで追い出されたマリの人たちが23万人モーリタニアへ流れ込んでおり、パサバという町に難民キャンプがあります。ニジェールには8万5000人、ブルキナファソには5万人、国内にも20万人の難民がいます。国連発表では70万人の難民がいるということです。

私は去年の11月~12月にこの難民キャンプへ行き、日本大使館で難民キャンプの統括をされているファサールの市長にお会いしました。電気のないところですから無線機と太陽光パネル、アンテナの機器とバッテリーを持っていきました。今回はアルカイダが出てきているということで2週間通いつめましたが、最後まで日本大使館から設置の許可が出ませんでした。日本側の許可が下りないままなので、モーリタニアの内務省にお願いして警備の軍隊を出してもらうことになり、現地の人たちを指導しながらやっと無線基地を作ることが出来ました。ソラ―バッテリーは砂が入るので屋根の上に設置しました。

難民は登録されてから40キロ離れた難民キャンプに送り込まれます。難民は着のみ着のままで砂漠を歩いてきますので、モーリタニア側ではトラックで歩いている人たちを拾って連れてきます。我々はキャンプ地とワークショップを結ぶ無線基地を作ろうとしていたのですが、難民の中にすでにアルカイダの人間が入り込んでいる可能性があるので危険だと言われ、キャンプ地の外の救急車に無線基地を作ることにしました。常に銃を持った警備員に守られてする緊張した作業でした。

アルカイダに対する警戒は非常に強く撮影が許されても車の中から撮り写真がアルカイダに渡ることを警戒していました。キャンプ地は18のブロックに分けられ出身地別に収容されています。白い衣装が多いのですが、トワレグ族は青い衣装を着ています。ユニセフが何百というトイレを作っていました。マリ族は女の人と子供はよく働きますが男の人は働きません。キャンプ地は水が出るところを選んであり、給水車ではなく給水することが出来ます。ユニセフが造った学校もあり二部制で授業をしていました。先生はユニセフの人でマリの先生でした。国連が1億ドル拠出することになっていますが、難民がいずれ国に帰ってからも支援が必要です。国連の職員は危険なのでキャンプの中にはいないという状況でした。