モザンビークの学校を支援する会:モザンビーク太陽中学校

(2010/7)

講師紹介:福島晶子
モザンビークの学校を支援する会東京事務局

 初めにモザンビークについて3つの質問をさせていただきます。一番目、モザンビーク共和国は日本より大きい。日本のおよそ二倍の面積です。二番目、モザンビークの公用語はフランス語である。公用語はポルトガル語です。三番目は、モザンビークの平均寿命は50歳である。平均寿命は42歳です。モザンビークは、サッカーのワールドカップが行われた南アフリカのすぐ北側にあります。ワールドカップが行われたために南アフリカの地図がよく報道されていましたが、その時にモザンビークもちょっと出ていたのが嬉しかったです。

 モザンビーク共和国は、日本のおよそ二倍の大きさで2,000万人が暮らしています。400年間ポルトガルの植民地で1975年に独立しました。まだ35年の若い国です。面積が80万平方キロメートル、人口が2,097万人、公用語はポルトガル語、宗教はキリスト教、イスラム教、原始宗教などがあります。一人当たりのGNPは340ドルと言われています。成人の識字率は39%です。首都はマプトで、植民地時代のポルトガルの影響を強く受けた街です。またインド洋に面していますので、とても美しい海岸があり魚介類も豊富です。

 農業では稲作が盛んですが、水田ではなく少ない水で育てられており、今でも石の鎌で稲穂だけを刈り取っています。バナナ、ジャックフルーツ、オクラ、ピーマン、ニンジン、タマネギ、レタスなど土地が豊かなのでフルーツや野菜は豊富に採れます。カシューナッツはモザンビークの産物の一つです。ココナツの木も沢山あって生活に密着しています。ココナツミルクを飲んだり料理に使ったりします。主食はウガリ(シマ)です。

 乗り合いバスは日本の中古車がそのまま文字を消さずに使われています。かっこいいのだそうです。この写真は巨大な髪型をした女性を撮らせてもらったものですが、アフリカの女性は皆とてもおしゃれです。普段はぼろを着ていても出かけるときは必ず着飾って行きます。タンザニアでも黒檀のマコンデ彫刻は有名ですが、タンザニアとモザンビークの国境付近に住んでいるマコンデ族が作っている彫刻で悪魔を形作ったものや人が沢山繋がって人生の喜怒哀楽を表しているものなどいろんなモチーフがあり、世界的にも高い評価を受けています。

 モザンビークは元々自然豊かな国ですが、内戦に巻き込まれたことから現在の貧困が始まっています。1997年に独立後間もなく内戦が始まり16年にも及ぶ長期内戦になりました。この内戦はルワンダのような民族間の紛争ではなく、ソ連などの東ヨーロッパの国からの援助と、西ヨーロッパ、アメリカなどの援助を受ける人達が内部的に対立した東西の代理戦争だったようです。どちらに着くかで同じ国民がゲリラ化して争いました。犠牲者の数は60万人とも100万人とも言われています。内戦によって孤児、難民が増加したこと、国土が荒廃したことが原因で経済が完全に破綻してしまいました。
内戦が終るころには世界で最も貧しい国になっていました。そして将来をになう子供たちにとって深刻な問題だったのは学校が破壊されてしまったことです。内戦の中心地では83年まで存在した学校の80-90%が機能しなくなってしまいました。学校は未来の人材を育成していく教育の場としてどうしても必要だと思います。読み書きは勿論ですが、その他に人間関係やさまざまな社会性を養うところでもあります。

 モザンビークの教育制度は、小学校7年(1-5年は前期初等教育、6-7年は後期初等教育)、中学校3年、高校2年となっています。私たちが最初にモザンビークに入ったのは1994年でしたが、戦後の復興支援として何かしたいということで有志が集まって、アンケート調査や面会などを通じて、どういった支援が必要ですかと質問したところ、やはり教育支援を期待する声が非常に大きかったのです。この当時政府は初等教育の充実を掲げており、かなりの予算を投入していました。外国の支援も小学校に教科書を贈ることなどに力を入れていました。

そこで私たちは小学校の次には中学校が不足することを予測して中学校を開校することに決めました。私たちが活動しているのはモザンビーク第二の都市ベイラというところです。あるロータリークラブが出資してくれて、校舎は約40万円で建てることが出来ました。当初は机が無く子供たちは椅子だけで授業を受けていました。私たちは貧困家庭の子どもたちにも広く機会を与えることでよい人材が育っていくのではないかと考え、学費の安い学校を開校しました。当初の月謝は50円、15年たった今は300円ですが、これでもモザンビークで一番安い私立学校となっています。

僅か2教室44名の学校として始まりましたが、学費が安いということ、先生の質がよかったこと、それから道徳教育があったということ、日本のNGOが運営する安全な学校ということで入学希望者は年々増え続けました。より多くの生徒を受け入れるために1997年新校舎の建設工事を始め、1999年に現在の校舎が完成しました。今年はこの学校に660名が入学しました。2001年にはここに高校クラスを開設してモザンビーク太陽中学校・高校となりました。この地域には公立の高校が無かったため、学費の安い高校が開校することで進学をあきらめていた子どもたちにも道が開かれました。午前中は中学生、午後は高校生が学ぶ二交代制です。朝のクラスは7時に始まります。最近は女子の就学率が上っており、中学で4割、高校で2割が女子になっています。これはモザンビークの教育レベルが上っているものと思い喜んでいます。

日本のように交通が発達していないので、日本では考えられない距離を歩いて来ます。食事抜きで歩いてくる子もいますが、それでも勉強できるのは嬉しいと言っています。高校クラスが終るのは夕方の6時半で外は真っ暗です。学校には売店があって、文房具やパンなどを売っています。その他に教科書の貸し出しを行っています。小学校までは教科書を学校で貸してくれますが、教科書は大変高価なので中学高校では余裕のある生徒だけが買えるものなのです。全教科を買うと5,000円くらいかかり、お父さんの給料の半分から2/3までかかってしまいます。そこでここでは身分証明書と引き換えに教科書の貸し出しを行っており、これが学力向上に大変役立っています。モザンビークではベイイと呼ばれるIDカードがありみんな身分証明書として持っています。売店の隣には図書室があって、ここで好きなだけ勉強することが出来ます。卒業した生徒や先生もこの図書室で勉強します。

最近では大学に進学する子どもも増えてきましたが、せっかく進学しても経済的な理由で最後まで通えない学生も多いので、2004年から大学生を対象にした奨学金制度を設けました。中学、高校、大学と見てきた素晴らしい学生もいます。貧困家庭の長男で彼の下には弟と妹がいます。中学の頃から市場で卵を売って生活費を稼いできました。経済的な理由から医学部に行くのを諦めて看護師になろうとしていましたが、奨学金を受けることで医学部に進み、現在最終学年の6年生になっています。誠実な人格を持った人ですので、立派な医者になると私たちは信じています。もう一人農学部を卒業して大学で助教授をしていた学生は、インドから奨学金を受けることになり、今インドの大学に留学して大学院で勉強しています。他にもマレイシアの奨学金を得てマレイシアに留学している学生もいます。

このようにモザンビークの田舎の太陽中学を卒業して、今では世界に羽ばたいて世界で多くのことを吸収している若者が出たということは、在校生にとっても私たちスタッフにとっても本当に励みになっています。世界で高い技術を学んでモザンビークの生活の向上のために役立つ人材になってくれることを祈っています。今年は9名の大学生を支援しています。この学校が出来て今年で15年になり、卒業生は6,000名を超えています。勉強する学生の輝く目を見ていると、やはり教育は子どもたちにとって何よりも輝く希望だと感じています。この学校を開校した目的は優秀な人材を育成して、貧困を解決できるような人材を生み出すことです。最近では教師になって母校の教壇に立つ卒業生も現れてきました。今そういった卒業生の教師が6名います。一番嬉しいのは大学を卒業して教師になって戻ってきた彼らは、本当に愛情を持って後輩の育成に取り組んでいることです。生徒たちの評判もよく、これは私たちの教育支援の実りではないかと実感しています。

モザンビークは現在経済成長の中にありますが、年率7%の経済成長を遂げています。この数値はアフリカの奇跡と言われています。首都を歩いているとここ数年で本当に建物が増え、立派な会社も増えて、めまぐるしく成長していることが分かります。前回行った時には以前には無かった巨大なショッピングセンターが出来ていました。こういった首都の復興の影に地方では未だに水道も無い生活をしている人たちも沢山います。水汲みは女性の仕事で、水を汲みに行くために学校に行けない女の子もいます。私が常駐していた5年前には停電や断水も毎日ありました。ですからロウソクは今でも生活の必需品ですし、学校不足も解消されたわけではありません。経済成長が国民の隅々まで届いていないのです。

小学校を卒業した子どもの数は増えていますが、それに見合った中学校が無いため中学浪人と言うのが一つの社会現象になっています。子どもたちは豊かな可能性を持ちながら生れ落ちた国の環境によって将来が決められてよいものかどうか、恵まれた環境の私たちにしか出来ない支援活動があるのではないかと実感しています。かつては日本も戦後の貧しい時期を経験していますが、アフリカまだ戦後のような暮らしをしている国もたくさんあります。モザンビークの子どもたちも世界に出ていろんなことを学び、日本の子どもたちと同じような夢を語れる環境が与えられると良いなと感じています。

この活動に携わるようになって16年になりますが、本当に私自身がモザンビークの人たちに多くのことを教えられました。12歳、13歳の子どもたちからも人生とは何か、生きるとは何かを教えられているような状況です。アフリカの子どもたちも素晴らしい能力を持ちながら、チャンスが無いために能力が開発されないという現状を感じています。しかし、子どもたちのキラキラした瞳を見ていると、モザンビークはいつか日本より素晴らしい国になるのではないかと感じます。モザンビークには奇跡と言われる事柄が二つあります。一つはここ10年の順調な経済成長、二つ目は内戦が終った後難民の帰還がとてもスムーズに行われたことです。この二つの奇跡を起したモザンビークの人々の底力を思うとき、モザンビークという国は今後よくなるに違いないと感じています。

私たちの学校は貧しい子どもたちが学べる学費の安い学校ではありますが、子どもたちにただで学べるとは教えていません。安い月謝を払ってもらい、月謝を滞納する子どもからは罰金まで取っています。やはり責任を果たさないとその恩恵は得られないという貴重な経験をこの学校でしてもらいたいからです。学校はお金を与えるのではなく学びの機会を与えるところだと思っています。そしてこの学校を巣立っていった子どもたちが将来素晴らしい石杖となってくれることを信じています。このエネルギーと生命力に溢れた子どもたちだったら素晴らしい豊かなアフリカを造ることが出来ると思います。

 年間の運営費は、生徒一人当たりに8,000円から9,000円かかる計算で、月謝は取っていますが、運営費の半分ぐらいが入学金と月謝でまかなわれています。今年660名いますが、約600万円が運営費です。日本からの寄付金と助成金は、教師の給与や建物の補修など施設管理に使われることが多いです。先生はパートタイムで雇っていますので、給料は1時間45分授業、中学で150円くらい、高校で200円弱くらいです。科目数の多い先生は月100ドルを少し超えますが、クラスの少ない先生や科目数の少ない先生は50ドルから30ドルくらいです。モザンビークの労働省で定めている最低賃金は70ドルくらいです。正式の雇用をされていないお手伝いさんなどは最低賃金を貰っていない場合もあります。