中央アフリカ共和国での活動報告

(2015/3)

講師紹介:徳永瑞子(NGOアフリカ友の会代表)

1991年にNGOアフリカ友の会を設立
1993年より中央アフリカ共和国の首都バンギでHIV/AIDSの啓発教育・診療・自立支援などを実施
毎日国際交流賞・フローレンスナイティンゲール記章
読売国際医療功労賞。
著書:「アフリカの詩」「これは本当のアフリカのお話しです」

徳永です。私の経歴は看護師・助産師ということですが、初め日本興業という会社に勤めまして、1971年日本企業の医療班としてザイールに勤務したのがきっかけで、その後フランス、ベルギーのキリスト教系の施設で勤務しました。一度日本に帰ってきたのですが、1985年にエチオピアで干ばつがあり、アフリカの研究者がいないということで呼ばれまして7か月ほどエチオピア干ばつ被災者の支援活動を行いました。1980年代の後半からHIV/AIDSの問題がにわかに大きくなり、また現地の友人が亡くなったことに衝撃を受けて、ザイールにはお世話になっていたので、ここで何かできないかと思い1991年6月に友人3人と「アフリカ友の会」を始め、1993年1月から中央アフリカ共和国で活動を開始しました。

中央アフリカはフランスの植民地だったのでフランス語圏です。内戦が始まって2003年には日本大使館も閉鎖し、2012年にODAで小学校を建てたのを最後に今日本人は国境なき医師団など人道援助や国連関係の方たちしかいません。現地の方と結婚した人たちも、お子さんたちが難民扱いになり日本に帰ってきてしまいました。

ODA、NGOと言っても分野によって違いますので、私たちは医療に関する活動ということで、ユニセフや世界銀行が大きく支援してくれました。この10年間で活動の内容も変わってきましたが、民間団体の良さは、お金さえあれば現地のニーズに合わせてやり方を変えていけるということです。例えばODAの仕事をする場合は、言われた通り日本で決めたことを全部やっていくしかないわけです。ところが我々民間団体の場合は、フレキシブルにどうにでもなるという強みがあります。当初はHIVというのは知識を普及させればいいと思い、看護師や助産師にHIVの講習会をやり、紙芝居を持って地域を回ったりしていました。そうしているうちにAIDSの患者さんたちが来て自分たちは誰も面倒を見てくれないと言っていることがわかりました。そこでこの人たちが感染源になるのだと思い、ここからAIDS対策を始めました。医師を雇い、診療所も建てて完全に方向を転換してしまいました。患者さんたちは満足に食事が出来ていないということで給食サービスも始めました。次に患者の子供たちのためのセンターも作り、これが今活躍しています。啓発教育も集団でレベルの違う人たちを集めても効果がないので、先ず保健師の育成をすることにしました。大学を卒業して失業している人たちを集めて教育し、最後に試験に合格すれば保健師として地域に出ていくことになります。結核患者の日和見感染も多くこれを治療することも任せられることになりました。

内戦による影響は非常に大きく、今でも多数の死者が出ており難民も増えています。これはイスラム教とキリスト教の争いだと報道されていますが、そうではなく政治紛争だと思われます。最も困るのは内戦の二次被害で、栄養失調児が激増しエイズ患者も増えています。食料はカメルーンに頼っているのですが、PKO のエスコートがあってもその輸送が厳しい状況になっています。とにかく食べなければ治療をしてもよくなりませんので、WFPの栄養食の支援はとても助かりました。ピーナツバターのような高カロリーの食べ物です。2006年から薬を飲み始めて患者が元気になり、孤児が増えないことが本当にありがたいと思いました。

AIDS啓発指導は、周囲50㎞を回ってやっていましたが大勢の人が集まるだけで効果がないので、保健指導員が個別グループを訪問するようにしました。そのうちにAIDSかも知れないと思い自主的に息子を連れてきてくれるまでになりました。薬を飲み続けるためには海外の援助に頼っていてはいつそれが止まるか分かりませんので、患者さんたちの自立のためにマイクロクレジットを始めました。少額のお金を貸し出してそれを元に自分の得意な分野で小さな商売をやってもらいました。当初は非常にうまくいってヤシ油から石鹸を作って売る、薪を売る、洋裁をやる、喫茶店を開くなどしていました。外務省も250万円を提供してくれましたのでそれを元手に始めました。AIDSの患者さんは家族にとっても厄介者でしたので、商売を始めたことで家族も協力するようになりとても喜ばれました。患者さんがなくなると融資できなくなるので家族が泣きついてくることもありました。ところがこの内戦ですべてがゼロになってしまい、前回訪問した時には栄養失調の子供が急増し、前年度の10倍以上になっていました。

その後、最後は農業だということで私たちは2011年から農業プロジェクトを始めてうまくいっています。土地を借り上げて、土地と道具を提供し、全て手仕事で農業をやってもらいました。患者さんたちは自分で地割をして農業を始めました。1ヘクタールが5万円くらいで2年半の契約で借り上げます。マニョクは1年半成長に掛りますので、3か月で育つ野菜やカボチャ、ピーナツを一緒に植えて収穫して売ります。連作のできないものなどの智識はみんな知っていますので大丈夫でした。今4ヘクタールに増やして開墾しています。

信託銀行の支援で「みずほ学校」を建てて子供たちの教育支援もしています。貧しいこどもたち30名を選んで始めました。朝行くとミルクとドーナツがもらえます。すると瞬く間にみんな太って元気になります。やはり食べていないと気力もなく勉強も出来ません。12時まで勉強して今度は炊き出しを食べさせます。ご飯が食べられると思うと勉強も一生懸命しますから学力も上がってきました。卒業すると一般の学校に編入させます。

活動資金の調達ですが、年間3000万円くらいあればやっていけます。東京は全員ボランティアで給料は貰っていません。会員が1500人いて会費は5000円です。ボランティア貯金というのがあって一時はよくいただきましたが、2年前に終了しています。大使館があった時は奨励金が出ていました。毎日新聞にも援助していただいています。世界銀行が2年間で60万ドル提供してくれ、ビルゲイツが5年間で50万ドル提供してくれました。年間1000万円くらいですが、これは絶対に予防だけに使ってくださいということでした。5年後には特効薬の研究などに使われています。外務省からも結核治療薬をいただいています。

イスラム勢力によるクーデター内戦の影響で、今までうまくいっていた職員たちとの関係もよくありません。イスラム教徒の非常に優秀な人たちが大勢いましたが、今はマリに逃げ帰った人もいます。地方に行くときにはカラシニコフを持った警備員を連れて行き、その噂を立てることで安全を保っています。

マイクロクレジットが上手くいかなかったのは、少しずつ貯金して自分でやっていくように常に言っていましたが、お金を管理し貯金をするということが出来ず、自立する事は出来ませんでした。私たちの職員がバイクで回って少しずつお金を集めて銀行役をしていましたが、今回のクーデターで略奪されてしまい全てゼロになりました。
アフリカ友の会の活動は皆様からの会費、寄付によって運営されています。皆様のご支援をお願いいたします。

http://www.4.ocn.ne.jp/~africa93/