教育で子どもが変われば地域が変わる

(2014/4)

講師紹介:相原功志(Aihara Koji)
1972年11月9日、埼玉県岩槻市(現さいたま市)生まれ。
新潟大学医学部卒業、医師免許取得。
ケニア共和国ナマンガで、こども支援活動「キラキラ・プロジェクト」を主宰・運営する。
ケニア共和国ナマンガで、ケニア人の妻ジャシンタ・ンジェリ、長女ノゾミ、次女ヒカリ、5人の孤児たちとともに生活する。
クリスチャン(キリスト教信仰者)。

こんにちは、相原功志です。皆様にはよくテレビで見ていただいていますが、テレビはなかなか本当のことを伝えてくれません。私が一番伝えてほしいことがカットされてしまいます。視聴者が見たいと思うことばかり伝えようとしています。私は、2002年医師を辞めて東京に来まして、近いうちにアフリカでアクションを起こすと宣言しました。そのときインターネットで知ったKI-AFRIKA の定例会に参加して、自分は医師を辞めてアフリカに行きたいと思っているので情報を下さいといったところ、初対面にもかかわらず快く受け入れて信用してくださいました。

人間の成長にも段階があります。これを医者の世界で見ると、下医癒病、中医療人、上医治天という言葉があり、医者としてのキャリアもこのように成長していきます。私も最初は子供を支援することだけに集中していましたが、10年経って子供の支援だけではなくそのコミュニティーが見えてきました。今後はコミュニティーと一緒に何かができないかと考えています。

キラキラも10年経って、地元の信頼も得られるようになり、日本からも心からの支援を得られるようになりました。私は今42歳になりますが、高校生の時にフィンランドに交換留学したことがあります。そのころから将来発展途上国で支援活動がしたいと思っていました。そのあとヨーロッパや中近東の国を訪れ、1999年大学生の時始めてアフリカに行きましたが、その時に自分の夢の実現可能性を確信しました。アフリカの地で、将来絶対にここへ戻ってくると誓いました。

私は医師でしたから、5年くらい小児科の臨床医をやって、その後5年くらい大学の公衆衛生学部などで研修して、準備が整った状態で専門家として現地に行ってJICAの専門家として活動すればいいのかとも思いましたが、結局それが出来ず若いうちに行動を起こしたことはよかったと思っています。そういうタイプの支援がODA政府開発援助です。NGOという草の根運動をする活動もありますが、今は一般企業と同じように小さいNGOは大きなところに吸収されて大きなNGOだけが残っていく傾向にあります。またCBO(Community Based Organization) コミュニティー組織というものもあり、これは地元の人たちと一緒になって地元のために活動するという形態です。妻ジャシンタと私は迷わずこれを選択しました。ケニアでは、保育園、幼稚園に3年間通います。そのあと小学校が8年間あります。ナマンガでは95%位は小学校1年生に進学し、60%位が8年生を終えて卒業します。そのあと高校が4年間あります。最近は高校へ行くのが当たり前になってきました。

私たちはキラキラ保育園をメインに活動していますが、10年前は15人くらいでしたがここ数年は100人くらいで推移しています。ナマンガの人口が増えているということもありますが、キラキラで実践している子供の自主性を重視するという方針と保護者との連携信頼関係を得ながら地域と共に成長していくという体制が評価されるようになり、よその保育園よりもキラキラが人気を博するようになりました。施設として100人以上収容できないので100人なのですが、何人でも収容できるのであれば300人レベルになっていると思います。ここ数年は入園面談の日に以前は数日かけていたものが、1日で締め切るようになり、朝8時に締め切るようになりました。次の年には6時に締め切り、今年は4時に締め切りました。朝4時に300人くらいの親子がひしめく状態になっています。

土曜日はキラキラ土曜補習教室と言って保育園を卒業した小学生を集めて補習授業をやっています。これは単なる塾ではなく、本人の自主性を伸ばすという意味で勉強も本人たちに任せるようにしています。私自身が忙しくて直接子供たちにかかわる機会がなくなってきていますので、モデル教室として取りあえずこの補習教室だけは私自身がやって、子供達をモニターにしながら将来を試行錯誤しています。日本の子供たちと文通をしてみたり、日本からのお客様を迎えるときも補習教室の子どもたちにやってもらいますが、本業を重視したいのであまり歌ったり踊ったりはしません。将来の人材育成を目的にしていますので、いろいろ厳しいルールを設けて、本当に我慢強く謙虚でやる気のある子供達10数名でやっています。世代が一巡するころには、この子供たちがキラキラに何らかの形でかかわってくれると信じています。

テレビの「なぜそこに日本人」では給食プロジェクトがキラキラの救済になったような言い方をしていましたが、あれは嘘です。給食はもともと親が忙しくなって、はじめ午前保育だったものが午前午後保育になり、普通ケニアでは昼食は家に帰って食べますが、行き帰りの道の治安も悪くなり、交通事故も心配です。そこで安いお金で昼食を提供しようということになったのです。

マサイビーズの話をしますと、やはり現金収入が少ないのでマサイのおばさんたちがタンザニアから国境を越えて毎日やってきます。1日の収入が50円の時もあり、運が良ければ1000円稼ぐこともあるようです。平均して1日50シリングくらいです。「世界の果ての日本人」で教員の給料が8万円と言っていましたが、あれは間違いで実際は8千円です。1日200-300円ということになります。他の職業でも同じくらいです。キラキラではマサイビーズを買い上げて、そのお金で学費を払ってもらっています。これで少しはマサイの人たちも伝統を守って生きていけると思います。この他にキラキラでは厳選して特に事情のある6人の子供に特別支援を行っています。

キラキラプロジェクトは去年大きな転機を迎え、キラキラホームというものを建設しました。これが宿舎で、建物は20年後には病院にするつもりです。受け付け、薬局、診察室、分娩室などを想定しています。庭の方に日本からの訪問客の宿泊スペースを設けました。皆様もナマンガに来られたら、安い値段で安全なこちらに泊まってください。食事や会議をするスペースもあります。あとは店舗もあって識字率を上げる目的もあり、書籍、文房具を置き、将来的にはインターネットカフェも作りたいと思っています。

またキラキラ小学校をついに始めることが出来ました。20m×130m位の長方形の敷地に去年キラキラ小学校の仮校舎を建てました。何故仮校舎なのかというと、コミュニティーと一緒に公立の学校を作るには名ばかりではなく政府からの土地供与を受けたうえで、そこにキラキラの資金で建設したいと強く思っていたわけです。しかしナマンガのように教育は遅れていながら保守派の強い土地柄では、わざわざ土地供与をしてまで学校を作る必要はないという考えになってしまいます。土地供与を申請して9年経っても音沙汰がありません。そこで今年2014年の半ばくらいを期限に土地供与されなければ、公立ではなく私立の小学校を建てるつもりです。政府からの返事を待っている間という意味合いで、1年生と2年生の仮校舎を建てました。去年の6月に着工して、今年の1月から1年生のみ開校しました。来年2015年1月からは2年生部門も開校します。毎年1学年ずつ増えるわけですから、2014年の後半に今後の方向性を確定し、10年後には保育園も含めて本校舎にしたいと思っています。

子供を教育することで家庭が変わり、家庭が変わればコミュニティーが変わっていく、そういう未来を見据えることで未来を育てたいと思っています。現地で法人登録をしてあるのですが、それは「未来を育てようの会」「Bring up the future」となっています。世界はグローバル化が進んでおりナマンガの田舎町でも同じです。そこでやはり世界標準に対応できるような教育や子育てが重要だと思います。国境のない世界を目指して、国境のないナマンガで頑張っています。保育園児100人の内15人くらいはタンザニアから通ってきています。

アフリカは以前の貧しいアフリカではなく発展しており、今や物は何でもそろいますので古着や文房具をいただくのはかえって不都合になってきています。本当に必要なものは学校を建てる建材等ですので、そういった方面へのご協力をお願いいたします。企業献金を集めるのではなく、一人一人の善意で小学校を作ることを目指しています。これまでは子供を支援することに集中していましたが、これからはコミュニティーに注目していきたいと思います。さらにはケニアでの活動を日本へ還元したいと思っています。