日本国際ボランティアセンターの南アフリカでの活動

(2014/10)

[アフリカ講座]

講師紹介:渡部直子
日本国際ボランティアセンター(JVC)南アフリカ事業担当。
大学卒業後海外でのボランティア活動を経てイギリスの環境保護NGOスタッフ
2005年からJVC南アフリカ事業担当。
2009年度からはHIV/エイズプロジェクトマネージャー
2012年以降は、モザンビークの土地収奪問題に関する政策提言活動

日本国際ボランティアセンターの渡部直子と申します。よろしくお願いいたします。JVCの活動自体は1980年から始まっており、アジアでは、タイ、ラオス、カンボジア3国、中東、アフガニスタン、アフリカでは、スーダン、南アフリカで人道支援などを行っています。南アフリカはアパルトヘイト後世界で一番の格差社会と言われています。ヨハネスブルクの中心街を見てみても、立派な住宅が目立ちますが、車で10分行くと電気や水も十分いきわたっていないスラムのような街並みになります。私は9年前から活動に加わっていますが、大学院で勉強をし直して戻った時には、考えていたヴィジョンが覆される思いで何をすればいいのか分からなくなってしまいました。その背景にあるのは、長い植民地時代とアパルトヘイトで、その影響が今でも残っています。国連ではこれは人道に関する犯罪だと言われていたアパルトヘイトですが、JVCでは92年から人道支援を中心に復興にかかわってきました。

大きな格差の中で南アフリカの黒人社会は住民組織が強く、政府が何もやってくれないのなら自分たちでやっていこうとしています。当初学校が無いときには住民たちで寺子屋式の学校を作り、お母さんたちが障碍者を助ける組織を作っていました。そこに国際組織が入って支援し地域づくりをしてきました。私たちはすでに何かをやろうとしている人たちを支援する形で活動しています。収入の向上、鶏を育てる、パンを焼く、トイレをきれいにする、などのプロジェクトをやってきました。94年に民主化をしてから、アフリカの他の国の内戦の影響で南アに難民が流れこむようになり、こういう人たちをも含めて国連と協力しつつ寺子屋的な教育支援をやってきました。

これらの活動は主に都市部でおこなわれてきましたので、2000年代から農村部に入り始め農村に住んで農業や牧畜を営んでいる人たちを支援することも始めました。南アフリカで他のアフリカと全く違うところは、小規模農業が全くないということです。農村なのに自給率が10%以下という状況の中で農業指導をやりながら人づくりを中心に活動をしました。ところが育ててきた人材がHIVエイズによってどんどん倒れていく現実があり、現在ではHIVエイズに対する活動が中心になっています。

北部のリンポポ州と南部インターンケープ州で活動地としています。人口も多く80%が黒人の人たちで貧困州とされています。南アフリカのエイズ陽性者は世界一で、6人に一人がエイズ陽性者ということになります。大人の5人に一人となり、年間死亡者64万人の内24万人がエイズで死亡しています。親をエイズで亡くす子どもが今は250万人います。南アフリカはアパルトヘイト後憲法によって社会に出てからの女性の地位は守られていますが、農村においては地域や家族内での女性の位置は低くなかなかエイズの治療を受けられない、レイプされて母子感染が起こってしまうなどの問題があります。2009年に政権が代わってからHIVエイズに対して政府も対策を講じるようになり、劇的に改善されています。私が関わり始めた2005年には、ARVが公的機関で無料支給されていながらほとんど効果が見られませんでしたが、2010年に行ったときにはみんなが元気になっていてその効果がはっきりと感じられました。

しかし副作用の強いARVを使うためにはまず食べなければなりません。貧困の中で感染予防をしていくにはNGOとして何が出来るのかと考え、とにかくケアが大切ですのでサポート体制を整えることに専念しています。在宅看護をやる中で感染者も治療をしていれば普通に生活していけるのだということに自覚するようになり、そのことを他の人たちへも伝えていきたいと思うようになりました。その人たちがオープンになってエイズのことを語り始めると、周りの人たちも積極的に検査に行くようになりました。南アフリカでは在宅看護ボランティアに対して保健省がいくらかの手当を払って積極的に支援するようになりました。エイズの影響を受けている子供の支援は、ドロップインセンターと言って子どもが立ち寄れる施設があるのですがそこでもボランティア活動が行われています。

私たちがやっているのはこういった現地ボランティアの人たちにHIVSに対する研修を行い正しいケアの方法を教えることです。その結果HIVSの人たちがきちんと薬が飲めているかをチェックすることが出来るようになりました。母子感染、虐待など他にもいろいろ問題がありますので、それぞれの問題についてワークショップ形式で勉強会を行い、今では家庭訪問の記録を取るところまでできるようになりました。そんな中でドロップインセンターを楽しい所にしなくては子供が来てくれないということで、施設の運営をどうすればいいかが課題になっています。ある村では絵本の読み聞かせをして子どもが戻ってきています。家庭菜園で一緒に作業をし、出来た作物を子供に持ちかえらせるということを始めました。家庭菜園の指導は、会員であった人が家庭菜園の専門トレイナーとして働いている人もいます。自主的に小屋を建ててハーブを育て、農具をそろえるなど現地の人たちの活動の場になってきています。

アパルトヘイトは、10%の白人が90%の黒人を支配していた社会で、黒人は14%の土地を与えられその中で自給しなければならず、また人頭税や家畜税も課せられていたため必然的に出稼ぎ社会になっていました。そのため食べ物なども自分で作るのではなくお金を出して買って食べるのが習慣になっていました。普段の食事は、ウガリと野菜や豆のスープが一般的ですが、それも缶詰を使うことが多いようです。野菜を作って余っても、それを売ったり買ったりするという発想がなく、あくまでも人に雇われてお金を稼ぐという体質になってしまっており、最近やっと自分たちで何かをするということを覚えてきた段階です。家畜を飼って蓄えにする人たちも出てきています。有機農業の場合単位面積の収量は多いのですが、商品化は難しい状況です。

このような矛盾の中で日々悩みながら活動しています。