最近のソマリアの変遷と南スーダンの現状

(2012/9)

講師紹介:丸山耕(フォトジャーナリスト)
2003年よりフリーランスで活動を始め、ソマリア、コンゴ民主共和国、ケニア、ウガンダ、南スーダンなどアフリカの紛争地で貧困や難民の取材を行い、雑誌を中心に写真を発表

元々ジャーナリスト志望だったのですが、先ずいろんな世界を見たいと思って旅をしました。

最初ロシアから入りシベリア鉄道でヨーロッパに行き、南下してアフリカを回りました。途中ケニアに3か月くらい滞在したのをきっかけに現地のことや人々の生活を伝えたいと思い、ソマリアでの取材活動に入りました。ケニアの隣の国ソマリアは無法地帯だと言われており行けるかどうかも分からなかったのですが、調べてみると飛行機も飛んでいていけるということがわかり、次の年にアフリカに入った時に行くことにしました。

 2003~2004年までは首都モガディシュでも銃撃戦は行われていませんでしたが、世界から見捨てられていて国連もNGOもほとんど撤退してしまいジャーナリストも全く訪れない状況でした。ホテルにもアイルランド系教育機関の人と中国人技術者が泊まっていただけでした。

1991年から反政府勢力統一ソマリア会議が首都を制圧し無政府状態が続いていましたが、ソマリアの場合は、ソマリ民族の単一国家でイスラム教スンニ派が95%を占め紛争は民族や宗教の関係ではありません。しかし2005年にイスラム法廷会議というイスラム色の強い団体が出てきて暫定政府と争うことになってしまいました。この団体はイスラム原理主義でシャリーヤを原理としており、アルカイダと関係があるとも言われています。

2006年には戦闘が激しくなり、イスラム法廷会議は一切の西洋の文化を否定し、西洋の服装もTVでサッカーを見ることも禁止しました。官庁街や有名な建物はすべて破壊され廃墟になっていました。銃はマーケットの奥でひそかに売られていましたが、北朝鮮、中国、エジプトなどで作られているカラシニコフが100~300ドルで買えるようでした。その後イスラム法廷会議の武力派から出たアルシャバーブが勢力を持つようになりました。

 IDPと呼ばれる国内避難民キャンプは学校の校庭など広場のあるところに作られますが、とにかく密集していて布やビニールシートで覆われ非常に暑くひどい環境でマラリヤに罹っている人も多いようでした。病院は兵士よりも一般市民の数が多く、栄養失調の子供や結核患者も多く見られました。結核は薬があれば治る病気ですがソマリアでは死の病です。

 取材も自由にできるわけではなく、ボディーガードを何人もつけてもらって出かけます。ホテルがすべて用意してくれますが、ホテル代が100ドル、車のチャーター100ドル、ボディーガード50ドルで、1日250ドルくらいかかりました。私は2007年に取材を終えて帰ろうとしていた時空港で拘束され逮捕されたことがあります。暫定政府のパスポートを持っていないという理由でしたが、他のソマリア人と一緒に鉄格子の中に入れられました。何とか短時間で釈放されましたが、帰国してからも外務省から呼び出しもあって大変でした。

 南スーダンは2011年に国民投票98.8%の賛成で独立心した。私は2011年7月9日の前日にケニアからスーダンに入り、独立セレモニーを取材することが出来ました。前夜から大変な人出でお祭り騒ぎの大イベントでした。その後インフラ整備も始まっているため物価が上昇して生活は苦しいようですが、AUがアルシャバーブを一掃したため、現在はモガディシュも平穏になっているということです。