私の国セネガルの紹介とバオバブの会の活動状況について

(2017/10)

講師紹介: (Diouf ElHadji Massamba)

1958年セネガル(西アフリカ)のカオラック市出身。モロッコに留学後来日、横浜市在住、フランス語教師。国際理解教師として横浜市立小学校に2年間勤務し、それ以来国際理解交流やセネガルの文化、社会、教育について、市民センター、小中高校、大学などで公演を行う。1999年バオバブの会を作り祖国セネガルの子供達の教育支援を始める。現在30名の会員、約100名の支援者とともに活動している。

バオバブの会HP:http://the-baobab.org

 

ディウフ・エルハッジ・マサンバと申します。ディウフはファミリーネームですが、エルハッジは巡礼をするともらえる名前です。私は生まれた時におじいさんの名前を全部いただきましたので、巡礼に行っていませんがこういう名前になっています。4歳で父親を亡くしましたが、母親が再婚して実家の町でおばさんに育てられました。感謝を込めて私の長女はおばさんの名前にしました。おじいさんの弟の奥さんです。とても頭のいい人で、生きる力や物の見方、プライドの持ち方などを教えられたと思います。その後中学校へ入るために、おばあさんのいる町へ行って4年間過ごしました。外交官や会社経営をしていた偉いおじさんがいて、バオバブの会を作ったのはこの人の影響かもしれません。彼は広大な土地を持っていて農場で働く人たちをどこまでも助けて自立させていました。全く知らない人に教育を受けさせたりしていました。この人のおかげで私はレベルの高い学校に入って大学へも行きました。モロッコ留学中に出会った女性と結婚して日本へ来ることになりました。

セネガルの首都はダカールですが、フェリーで30分のところにゴレ島があり奴隷の家があります。地下室に奴隷が繋がれていて、一度ドアを通ったら二度と戻れない「door of no return」と呼ばれたところです。セネガルの中にガンビアというイギリスの植民地であった国もあります。セネガルの国旗は緑と黄色、赤ですが、緑は森の色、黄色はサヘルを表し星は希望を、赤は国を守るために戦った人の血の色を表しています。国章ライオンとバオバブはセネガルのシンボルになっています。人口の90%はイスラム教徒でモスクはたくさんあります。タクシーはメーターがついていますが、ほとんどはメーターを使わず交渉で値段を決めています。ダカールは大都会で初めて行った人は驚くほどです。

ダカールから少し離れた田舎へ行くと、わら屋根(ミレという植物)の家が目立つようになります。若い頃はおじいさんの家に泊まってからミレ屋根のお母さんのところへよく行きました。田舎では毎日ほうきで家の前をはきますのでとても綺麗です。ヨーロッパ人が入ってきてから全てがプラスティックになって汚くなりました。

古代セネガルは王国でした。色々な王様がいましたが、王様にはグリオという王様を補佐する役目の人物がついており、歴史家でありジャーナリストでもありました。グリオはアフリカの社会にとって大切な役割を果たしていました。1444年にヨーロッパ人が入ってきてビジネスのためと称して鉄道を作るということで戦いが始まり、ヨーロッパ人に協力する奴隷狩りに反対するマラブー戦争ののちカジョール王が殺害されてからフランスの植民地化が進み1896〜1959年までフランスの植民地となりました。

1969年に独立し、最初の大統領はレオポルド・セダール・サンゴールでアフリカ社会主義を掲げつつ穏健改革路線で長期政権を1980年まで続けました。長かったのが良かったのかどうか意見が分かれるところですが、それでもセネガルは民主主義の進んだ国です。次に政権を取ったのは民主党のアブドゥライ・ワッドです。民主党で期待されていましたが大変な独裁者で問題もありました。その後2012年にマッキー・サルがワッドを破って第4代大統領に就任しました。

問題もありますが良い政策も行なっています。5歳までの子どもの医療費を無料にし、女子の教育が続くためには小学校のうちから結婚させないようにという援助もしています。

1600万人の色々な民族の集まりですが、宗教も95%のイスラム教徒と、キリスト教徒、アニミストもわずかに残っています。セネガルではみんな仲が良く宗教的な争いは全くありません。宗派は、ムリディヤ、ティジャニイヤ、ラヒニイヤなどありますが、世界平和を守ること、心の豊かな人を育てる義務があるということに変わりはありません。これは世界に一つしかないと思いますが、イスラム教徒とキリスト教徒のお墓が同じ墓地の中にあります。また面白い写真に、クリスマス商品の宣伝をしているサンタクロースの衣装を着た男性が地面に額をつけて夕方のお祈りをしている姿がありました。日本人と同じようにセネガル人は宗教に関して寛容です。政治家に対しても宗教が何であろうと人物で選びます。夫婦でイスラム教徒とキリスト教徒の場合もあります。

セネガルの主食は、クスクス、ミレ、チャークリですが、このチェレに魚のソースや肉のソースをかけて食べます。料理や水汲みは女性の仕事ですが私は少しできます。フランスの植民地だったので朝食にパンを食べる習慣もあります。お米はほとんど輸入に頼っていましたが、今は北部にダムができてあまり水を大量に使わないお米を栽培しています。他の食品も自給率を上げる努力がされています。セネガル人は男女ともにとてもお洒落です。あちこちでファッションショーが開かれています。スポーツはサッカーとバスケットボールが盛んです。相撲も人気がありますが、私は伝統的な相撲の方が好きです。今の相撲はビジネスになってしまい薬を使いますし殴り合いもします。伝統的な相撲は筋肉さえあれば頭を使って戦うことができました。

バオバブの会で今やっていることは、障害のある子どもたちの支援を含めて小学校を整備し直し、教師の宿舎を作り、地域のお母さんに手伝ってもらって給食も始めました。このような活動の結果として、生徒が増え、中学校へ入る子どもが増えました。障害のある子どもを学校に送ってもらうために大きなイベントを開いて、リュックサックに文房具を入れて配ったりもしています。

もうひとつの活動はケベメアという町に女性の家というのがあって、女性たちが集まってバッグやポーチを作ってフェアトレードで売っていましたが、そこで一緒に作っていた青年海外協力隊のメンバーが日本に帰ってきてからバオバブの会の会員になってくれて、またその商品を仕入れてくれる人が現れ、それが一つの支援になっています。今の活動はだいたいこのようなものですが、支援されたものはいつか自分が支援できるようになったらそのお返しをするというのが基本的な考えです。外国で働いているのはあくまでも今の生活であって、いつも自分の国の発展を考えています。

セネガルと日本の小学校同士の交流も始めています。横浜の小学校の運動会の様子を撮影したビデオをこの間セネガルの校長先生に渡してきました。目標は、すべての子どもが中学校へ行くことです。中学校に入ってフランス語で勉強することで世界とつながることができます。

 

(2017/10)