自然と政治に生きる農民:エチオピア

(2015/9)

講師紹介;白鳥清志

80年代にケニア青年海外協力隊、
1994年から2002年までタンザニア・キリマンジャロの農民研修プロジェクト(KATC)でJICA専門家、ガーナ農業省計画局でJICA専門家
2004年から2015年までエチオピアで農民参加型の研究アプローチを農業研究所と大学に普及する事業にチーフアドバイザー
アフリカ理解プロジェクト副代表
アフリカ開発メーリングリスト管理人
(株)かいはつマネジメントコンサルティング
京都大学アジア・アフリカ地域研究、研究科客員教授

白鳥です皆様お元気ですか。私は青年海外協力隊で1979年にケニアへ行き、そのあとはずっと開発協力の世界で活動してきました。専門は農業開発を中心にした農業です。この何年かは農業研究のプロジェクトに携わっています。お聞きすると、皆様も協力隊やアフリカ旅行、農業大学、などアフリカに興味を持つきっかけに共通点があるように思います。私も協力隊が始まりで、そのあとコンサルタント会社で働きながら、いろいろな人と会いアフリカ関係のプロジェクトに携わるようになりました。今日はエチオピアの主に農業の話ですが面白いと思いますので聞いてください。

エチオピアは東側半分が高地で一番高い山は4500メートルあり、1500mから2900mの地域に住民は住んでいます。あとは大地溝帯がヨルダンのあたりからエチオピアを通ってケニア、タンザニア、モザンビークへと走っています。320~370万年前の人類の祖先ルーシーが発見されたことで人類発祥の地と言われています。またこの辺りはシバの女王が支配していたことが遺跡からわかっています。エチオピアは北の方から王朝として栄えてきた国で、その最後の皇帝がハイレセラシエ皇帝ということです。エチオピアが飢餓に陥った時、皇帝が自分の飼い犬に生肉を与えている映像が放映され、それがきっかけでクーデターが起きハイレセラシエ皇帝は失脚し社会主義国になりました。社会主義体制は1974年から1991年までですが、その間に93~94年頃大干ばつがあり大きな飢餓がありました。1991年から現在までは、エチオピア連邦民主共和国として発展し、ここ8年間2ケタの経済成長率を示しています。

エチオピアは農業国でGDPの半分くらい、輸出の半分以上、人口の約8割が農業に携わっています。人口は今9000万人くらいで、面積は日本の3倍です。また特徴的なのはアフリカで一番家畜の数が多い国です。

これはラリベラの近くの写真で横に線が走っていますが、土壌浸食を防ぐために石を並べてあるのです。こうしておくと土が少しずつ溜まっていって何十年か後には段々畑になります。この辺りは雨量が少なく年間200ミリ程度です。豆やゴマを作っています。こちらは大地溝帯の底の部分で標高1300mくらい、テフ、麦、トウモロコシなどを作っています。もう少し南の方に来ると、森の中に野生のコーヒーが生えています。ここまで来ると豆や芭蕉科の植物で偽バナナというのが生えています。地上の姿はバナナとそっくりで、根にでんぷんを多く含むのでそれを食料にします。これを家の周りにたくさん植えていて2年経つと収穫できます。標高1000m位になると牧畜が中心になり、ヒツジ、山羊を飼っています。雨量は200~250mm位です。スーダン側に降りると、やはり標高は1000m位ですが、雨量は1800mm位あり、ツエツエバイがいますので家畜が飼えないため農耕も難しく人口密度も低くなります。

これは今のエチオピア農業の様子ですが、一人が牛で鋤をかけた後から一人が種を蒔いて一人が肥料を撒いています。郊外の村では輸送もミュール(馬とロバの交配種)の背に乗せて毎週市場まで運びます。一方で中国企業の建設が常に行われていて、中国は深く生活に入り込んでいます。先ず中国の銀行が入ってきて、大量にお金を貸してくれるため中国企業はどんどん進出しています。中国のイメージはそんなに悪くなく安い商品で助かっている面もあります。

コーヒーはエチオピアでは生活に密接に入り込んでいます。ケニア、タンザニアでは意外にコーヒーは飲まずチャイを飲んでいますが、エチオピア人は最低一日3回コーヒーを飲んでいます。お客様が来ると、生のコーヒー豆を洗って直火で炒り、ミルで粉にしてポットで煮出します。この間30分くらいかかりますので、ポップコーンやパンをつまみながら待ちます。一回に3杯飲みますから3×3で、その人数分ということになりエチオピアではコーヒー生産量の半分以上が国内消費です。

土地の話をしますと、皇帝の下に宰相がいて政治をしていましたが、その道具になったのが土地なのです。宰相は土地を与えられる代わりにうまく住民を治めることを要求され、年貢を取りたてその一部を皇帝に納めました。ハイレセラシエまでの時代は、土地制度を中心に支配階級が規則を作り支配していました。エチオピア聖教会も北から南下してきて信者を増やすと同時に支配階級の一部になっていました。

社会主義時代になると、土地管理を法律で決めることになりました。そのため土地の売買が起こりお金のために土地を売るようになりました。また人口過密を避けるために東部地域へ強制移住させましたが、これは失敗で、この時70万人の死者が出ており、最後は政府自体農村に手が回らなくなって放棄状態になりました。70年代になると国際的なNGOも入り、政府も計画経済などを試み極端な飢餓状態はありませんでした。

91年以降は、土地は国有ですが農民は使用権を認められていて、農業に政府予算の10%以上を費やしています。教育と医療に国家予算の半分以上を使いますので10%は大きな予算です。他のアフリカ諸国は4%位です。政策も近代化を中心に都市部に経済が集中するやり方ではなく、基本は農業に置いています。長い間農業が牽引する産業化、農産物を作ってそれを加工する産業を育成し、それを輸出する努力をしてきました。80年代、90年代に取ってきた政策は、小さな政府ということです。途上国がうまくいかない原因は主に政府が無駄な効率の悪い政策を取っていることなのです。そこで政府を小さくして民間に任せることにしました。農業普及員は6万人、で農民訓練センターも各村に一つずつ1万5000か所あります。

2000年以降は成果も上がってきたため近代化に踏み切っています。小農をサポートしながら外国資本を受け入れて大規模農業も始め、2000ヘクタールの土地で稲作を始めました。大型機械を使い精米機は日本製です。日本の佐竹が9億円のプラントを建てました。米に関しては日本の機械が世界中で活躍しています。米だけではなく豆類などの選別も今はとても研究されています。これまでは風でゴミを飛ばし、ピアノ線の間隔で大きさを選別していましたが、最新の機械では高速で流れる穀物をカメラで監視していて、形の悪いものをピンポイントではじくことが出来ます。

農業は米以外にも花の栽培が盛んです。バラや菊を温度管理によって需要に応じた時期に咲かせて日本へも輸出しています。エリトリアの壁画に牛耕の様子が描かれていますが、今と全くかわりません。イネ科のテフは1ヘクタール当たり1トンしか収穫できないので、コメの4~5トンに比べるととても効率が悪いのですが、牛耕はインジェラを作るには無くてはならないものです。種の大きさは米の1/100です。ではなぜ効率の悪い牛耕とテフの栽培を続けているかというと、これが北部から南部に伝えられた時にはテフで年貢を納めることになっていたのです。テフは食料としてだけではなく家畜の餌になり、その藁は米の4倍採れます。これがエチオピアの農業の特徴と言えます。機械も少しずつ入ってきていますが、まだ7割くらいはテフと牛耕です。技術的に見ると遅れているように見えますが、環境の視点か見ると牛耕は土地を疲弊させない良い作り方と言えます。合理性があって長く続けることが出来るのです。以上がエチオピアの高地と低地の農業の状況です。