西アフリカ、ギニアビサウでの学校運営

講師紹介:根岸敏之
NPO法人エスペランサ(西アフリカのギニアビザウ共和国で子どもへの教育支援)

 エスペランサは2007年に日比谷公園のアフリカンフェスタでJICAの人たちと知り合ったことから始まり、それ以来ずっと活動しています。アフリカに対する支援とはどうしたらいいのだろう、というところから始まっています。

 ギニアビザウ共和国は西アフリカ西端の中ほどに位置しています。日本から行く場合私はロンドンに入ってポルトガルのリスボン経由、またはロンドンからフランクフルトに入ってリスボン経由で行きます。その他のルートですと、ドバイ、カタール、セネガル経由と言うのもありますが、日本からの直行便はありません。非常に不便なところです。飛行時間にして17時間から20時間かかります。今年の5月に行った時はフィンランドに入ってからリスボン経由で行きました。

 日本に大使館がありません。学校で習った歴史の中でギニアビザウという国は無かったので少し説明いたしますと、1973年にポルトガルから独立しており、まだ37年しかたっていない若い国です。やはりアフリカですので民族間の争いやクーデターが起っています。最初は1980年にクーデターによりヴィエイラ首相が政権を奪取、革命評議会を設立しています。その後1994年には大統領選挙でヴィエイラ大統領が当選しましたが、1998年に再び最も大きなクーデターが起り大統領は国外退去になり、私たちも隣国セネガルの首都ダカールに仮事務所を設置してギニアビサウ難民キャンプを支援しました。2009年3月にまた小さなクーデターが起こり大統領が暗殺されてしまいました。その後新しい大統領選挙が8月に行われ今は一応安定しています。

 国土の大きさは36,125平方キロメートルで日本の九州と同じくらいです。人口は170万人、首都はビサオです。公用語はポルトガル語で、隣接している国々はフランス語ですのでここだけ違うといった感じです。通貨はシェーファーフラン、主な産業は農林水産業で、落花生、カシューナッツ、エビ、イカなどです。一人当たりのGNPは250ドル、世界で最も低い数字を示しています。日本の大使館はなく隣のセネガルの大使が兼任しています。ギニアビサウの大使館も日本には無く、中国北京の大使館が兼轄しています。中国からの経済支援が大きいため中国との関係は強くなっています。
 現状は労働力の8割が農業ですが国内の需要も満たせないような状況で、お米も輸入している状況です。と言うのはインフラが非常に遅れているために企業化が進んでいないのです。工場を作ってもエンジンが無いなど企業に投資をするにも魅力が無いため、また識字率も低く経済発展に必要な条件が揃っていないということです。

国民の6割以上が貧困で国連の統計を見ても、182か国中179番目と言う世界でも最も貧しい国の一つです。財政難のため公務員の給料も殆ど払えない状況です。国の財政収入の85%をODAに頼っています。日本との関係は、政府援助が2008年までに合計111億円で、クーデターの時に止まって以来動いていません。JICAの方からの技術支援などに6億円出ています。貿易関係は殆どありませんし、民間企業でも投資する企業はありません。NGO関係では私どもを含めて4団体が支援しており、変わったところではジョン・レノンの奥様であるヨ-コ・オノさんが日本でチャリティーコンサートを開いて収益金をアフリカに寄付していますが、ギニアビザウで4つの学校を建てています。しかし箱物は造っても維持関係は現地に任せていますのでうまくいっていないようです。

 街から30分離れますとまるで縄文時代のようですし、大統領官邸も1998年のクーデターで破壊されたまま天井に穴が開いています。インフラが非常に遅れていて電気が無いため街には信号機もありません。空港へ向かうメインストリートも穴だらけで整備するお金もないという状況です。クーデターで破壊されたうえ雨季に流されてどんどんひどい状態になります。学校もまともなものはなく、公立の学校でも壁もない小屋にすぎません。また雨季に入ると休校になります。

 そこでエスペランサの活動を少し説明しますと、1996年にNGOとしてスタートしました。先ず女性の就業率も悪いし識字率も悪低いということに注目して、女性の自立を支援するために洋裁と文字を教える学校を作りました。この時に希望という意味の「エスペランサ」という名前にしました。この後クーデターが起きたため一時活動が出来なくなりましたが、私どもはみんなが避難している場所へ行ってミシンを買い集め何とか活動していました。また戦争孤児が多いのに気づき孤児の支援もしていました。

 2001年からはクーデターの影響も少し落ち着いたので現状を見てもらうための体験ツアーを始め、小学校設立のためのチャリティーコンサートなどで日本の方々の協力をお願いしました。2002年6月にはブロック塀の小学校建設にかかり、2003年10月に「ソナック小学校」を開校することが出来ました。しかし貧困から学校に通えない子供たちが多いので2001年から導入している里親制度を広げ、現在は小学校、中学校を含め200人の子供たちを支援しています。

 開校当初の生徒は208人でしたが、現在は小学校240人、中学校80人の生徒がいます。公立学校では正規の先生を雇っても政府が給料を払わないため先生が出てこないという現状なので、公立学校の正規の教師でありながら私立の学校でも働いています。先生の給料もエスペランサではきちんと払っていますので「ソナック小学校」では先生も留年生が出ないようによく教えてくれます。中学校も私立中学校の認可を受けて、ソナックを卒業すると試験を受けずにそのまま入れるようになりました。

中学校は親からの要望も多かったため2008年に土地を借りて建設をはじめ、2009年に開校しています。土地は100万円、建物と机などに400万円くらいかかりました。まだ実験器具やパソコンなどは揃っていません。電気がありませんので、今の課題はソーラシステムで電気設備を完備して夜の授業も行えるようにしたいということです。現在100名の生徒のうち里親がついている子供は30名くらいです。残りのうち半分の生徒は授業料を滞納しており、先生の給料の半分以上を支援しなければなりません。先生14人の給料は年間で250万円くらいかかります。

開校式の様子は国営のTVで放映されましたが、TVを見られる人は少ないという現状もあり、まだまだ知名度は低いと思います。またソーラーを付けても盗まれる可能性があります。今までにも建物の扉を持って行かれたことがあります。そのため常に2人のガードマンを雇っています。時には屋根のトタンを外して持っていくこともあります。盗難防止のために窓には、学校だけではなく民家の窓にも鉄格子がはめ込まれています。黒板も木で作ると外して持って行かれますので、モルタルの壁に直接ペンキを塗って黒板にしています。

生徒たちはというと、本当に熱心に勉強してくれます。目を見るとそれがよく分かります。子供たちが着ているTシャツは、以前行われた沖縄海洋博の時に作られたもので、余ったものを提供してもらい背中に学校の名前をプリントして制服にしています。図書館も一般的には公共のものが有りませんので、みんなポルトガル語の本を競って借りに来ます。昼食はフランスパンにタルタルソースやジャムを塗ったもので、1本100シェーファ、半分だと50シェーファで売っています。

日本からの協力品としては、学校で使っていたスニーカーや黄色い帽子を洗って毎年贈られてきます。この黄色い帽子は福島県のいわき市から贈られたものですが、この写真を見た小学生が作文に書いて県のコンクールで優勝し、発表されたことがあります。あとは鉛筆や文房具などです。日本以外ではアメリカ、ポルトガル、フィンランドの方々が支援してくれています。この他に日本では、ギニアビサウの紹介を兼ねていろいろなチャリティーをやって寄付をお願いしています。ファッションショーやオカリナの演奏、津軽三味線、ハープの演奏会など会員を中心に一般市民の方々の協力をいただいています。それ以外にも小学校の総合学習の時間を利用してギニアビサウの紹介をしています。

国際交流の関係では、2001年からスタディーツアーも開催しています。この時に自分の行きたいところへ一か所寄ることにしていますので、ミラノやリスボンに行った人もいます。みんなとても喜んで日本へ帰ってきてから里親になる人が大勢います。2008年に横浜でTICAD (アフリカ開発会議) が開催された機会に、八方手を尽くして大統領夫妻と直接面談することになり、一時間半にわたって正式に大統領夫妻と会談することが出来ました。ユニセフの事務所も訪問しましたが、所長は日本人で二十年以上ギニアビサウに住み、もう日本には帰ってこないのではといわれる方です。ニュースに出てこない情報をこの方から聞くことができます。

また別の活動としては、クーデターの時に被弾して腰にその弾が残っている少年を助けようと、募金を集めて日本で手術を受けさせたことがあります。ギニアビサウの病院でもセネガルの病院でもできないといわれた手術が日本の病院では僅か15分で終わりました。

アフリカ関係の活動としてアフリカンフェスタがありますが、2006年に九州でJICA主催のものに初めて参加し、2007年からは東京の日比谷公園のものに参加しています。今年2010年の時は、ワークショップをさせていただき、アフリカ支援とはどんな風にやるべきかを話し合いました。大きなテーマでしたが我々のスタッフ4人で対応させていただきました。

大体このような活動をしておりますが、現在中学校まで立ち上げてそのあとをどうするか、現状を維持するだけでも会員数を今の倍にしなければいけないということが現在の悩みです。何かいい方法がないか考えていただければと思います。今までのところは会員の方に友達をどんどん紹介していただくようにお願いして、全国的に会員が散らばるようになりました。会長が福岡在住で、地元の知り合いである名士の方に紹介していただいたのが始まりでした。小さい街ですので、口コミであの人がやっているのなら私も、という具合に会員が増えていきました。近くの郵便局にチラシを貼らせていただいたこともあります。