西サハラとはどんなところ?-アフリカ<最後の植民地>と日本

(2011/6)

講師紹介:高林敏之
日本サハラウイ協会

 西サハラという国は本当に知名度が低く、NGO関係や研究者の中でもあまり知られていない中で細々と活動していましたが、最近は徐々に知られるようになり喜んでいます。アフリカは53か国からなっていると一般的には知られています。教科書にもそう載っていますし国連に加盟しているのも53か国で、これが主権国家国として認められています。これに南スーダンが今年7月に独立し加わることによって54か国になります。

 アフリカにはアフリカ連合AUという国際組織があり53か国が加盟しています。この中の一つにサハラ・アラブ民主共和国(RASD=ポルトガル語の頭文字)という国があり、アフリカ連合前のアフリカ統一機構の時1984年からメンバーとして認められています。アフリカでは認められていますが、国連で日本などが認めている53か国には入っていません。その代わりにモロッコが入っているのです。モロッコは西サハラを30年以上にわたって占領しています。丁度イスラエルがパレスチナを占領しているのと同じ状態です。またインドネシアが東ティモールを占領していた時期と一致します。アフリカはそれぞれの民族の植民地からの独立を認めるという立場から、84年にRASDをメンバーとして受け入れており、モロッコは認めていないためAUから脱退しています。アフリカ全土で唯一アフリカ連合に加盟していないのがモロッコなのです。

 世界で大体60の国がRASDを国として認めていますが、日本など先進国と言われる国は認めていないので国連にも入れません。元ポルトガルの植民地であったことから、中南米の国々、例えばメキシコ、キューバ、ウルグァイ、コロンビア、ベネズエラなどが外交関係を持っています。国連では亡命政府状態のRASDを国家としては認めていませんが、モロッコの支配も認めていません。Nonself-government territory非自治地域と一般的に言われています。こういった国で残っているのは主にカリブ海の小さな国で、アフリカでは西サハラだけです。要するにこれは国連が独立を認めた植民地と言えます。

 アルジェリアが一番西サハラを支援していて難民キャンプも受け入れており、首都のアルジェに行くと大使館もあります。また南アフリカは2004年から西アフリカを国として認めていますが、2008年に外務省が西アフリカを大々的に支援する国際会議を開き大使館が出来ました。この会議の時には南アフリカでアパルトヘイトに反対していた人たちが出席して演説しています。2006年には難民キャンプでRASD建国30周年の記念式典が開かれ、式典にはアフリカ連合の閣僚が委員長の特使として派遣されています。今年35周年式典の時にはインフラを担当するAUの閣僚が出席し、キューバから大臣が出席したり、ナイジェリアに駐在している大使が出席したりという光景が見られました。

 19C から20Cにかけてアフリカ全土が植民地圏になっていましたが、ここはスペインの支配下にありました。周りの国々はどうだったかというとフランコファミー国際機構という国際機関がフランスを中心に置かれていまして、フランス語を使う国々が世界的に結束を図ることを目的にしていました。アフリカの西側サハラ砂漠の周辺一帯はほぼフランスの支配下にありました。またアルジェリアは独立したフランスの海外圏ということになっていました。そういった中で西サハラはフランスとスペインの話し合いによってスペインの支配下になりました。

 1960年代に諸国が独立していく中で西サハラでも独立運動が高まってきました。それまでスペインは独裁者フランコが君臨していましたが彼も病気になりファシスト体制も終わりだろうと言われていた1974年ころになって西サハラも住民投票をやって決着をつけようということになり、国連もそれを支持していました。ところがモロッコが西サハラは歴史的に我々の領土だと言い出しました。これはもともとここに西サハラという国があったわけではなく国境線はヨーロッパが引いたもので遊牧民のいくつかの氏族が生活していた土地です。その氏族の一つがモロッコに忠誠の誓いを立てているという事実に基づいています。

 ここで注意すべきことはモロッコの国王は政治的なリーダーではなく、むしろ宗教上のリーダーなので、忠誠の誓いは立てるけれども税金は払わないという人たちもいます。モロッコはマグレブとして西アフリカ一帯のイスラム教の中心勢力であったためその権威を利用しようとしているわけです。国際司法裁判所が1975年にこの問題を扱って遊牧民集団が忠誠の誓いをしたことは認めよう、しかし近代的な主権の関係は意味しないし、現に西サハラには独立運動も存在するのだからそれはモロッコの領有権を認めるものではない、と却下されました。すると1975年に11月にモロッコは文化的に近いモーリタニアを巻きこんで西サハラに攻め込み、その上スペインに圧力をかけて西サハラを引き渡すことを強要しました。

 1979年にモーリタニアが撤退した後モロッコが単独占拠しています。その後大量の難民が出ました。その数は当時西サハラの人口の半分くらいと言われています。すでに35年経っていますので難民キャンプで生まれ育った人たちが大勢います。今難民キャンプに住んでいる人たちは17万人です。アルジェリアとの国境付近にティンドゥーブという所がありますが、ここにキャンプがあります。20代30代の人たちは難民キャンプで生まれて、教育もこの中で受けてきています。1976年ポリサリオ戦線でRASDの建国宣言をしています。1984年にはアフリカ統一機構(AU)に加盟し、同時にモロッコは脱退し、外交的には有利に展開しました。

 しかしモロッコ軍によって「砂の壁」と呼ばれている長い壁が造られ、モロッコ軍のいない壁の外側にも難民が入っています。壁の途中に何か所か軍事施設があり、壁の外側には地雷が埋めてあり有刺鉄線も張られています。万里の長城とこの砂の壁が唯一宇宙から見える人工的建造物だそうです。長さは2000㎞で日本列島の長さに匹敵します。これを7年くらいかけて建設しましたが、貧しいモロッコには資金がありませんので、これを支援したのがアメリカ、イスラエル、サウジアラビアなどの湾岸君主国です。何故イスラエルかというとモロッコには大きなユダヤ人コミュニティーがあるので、それを庇護することでイスラエルの支援を引き出したわけです。こうして西サハラの国土の2/3以上が囲われてしまいました。

 このように囲い込んで何をするかというと、解放戦線が活動できなくなったところでモロッコからの移民を送り込むことで、西サハラではモロッコからの入植者がすでに20万人と言われています。これに加えモロッコ軍が10万人駐屯しています。もともとの西サハラの住民は5万人だと推計されています。つまり入植者によって人為的に人口構成を作り変え、それと同時に資源の採れる処は完全に押えられています。西サハラからモーリタニアに至る大西洋一帯は世界的なタコやマグロの大漁場として知られています。外務省の統計によりますと、日本に輸入されている冷凍タコの70%が西サハラからモロッコ産として、残りの10%がモーリタニアから入ってきているとされており、この10年間で17億円に上るタコが西サハラから輸入されています。

 また西サハラとモロッコは世界的なリン鉱石の産地なのです。モロッコと西サハラを合わせると、世界のリン鉱石の66%を埋蔵していると言われています。モロッコと中国が世界の二大リン鉱石の生産国ですが、リン鉱石は精製されて肥料になり小麦など大規模農業で使われています。実際に日本の農協はモロッコからリン鉱石を輸入しています。積出港はカサブランカや、最大のリン鉱石のあるブクラアのリン鉱石はラーユーンという首都の港から積み出しています。こういった資源を採掘し輸出する許可は誰が出すか、その利益は誰が受け取るかを考えたとき、西サハラはモロッコに占領されているために全くその権利がないことになります。

 西サハラを占領するモロッコ王国は、国王や皇太子を含む王族が相互訪問を繰り返す日本にとってアフリカ随一の友好国であることをしっかり認識する必要があります。アフリカにおける日本の「資源外交」は今に始まったことではなく、白人支配であった南アフリカと日本の関係は1910年のケープタウン名誉領事館開設にまで遡り、戦前は羊毛輸入、繊維製品輸出を、戦後は鉱物資源輸入、重工業製品輸出を軸とした貿易関係を築いてきました。アパルトヘイト政権により不法占領されていたナミビアで産出されたウランを違法輸入し原子力発電に使用してきた過去もあります。今同じことが西サハラで再現されているのです。中国の「資源外交」を非難する前に、日本自身の「資源外交」を反省するのが先決ではないでしょうか。