ADRA Japanの活動

(2013/3)

講師紹介:橋本笙子
NPO法人ADRA Japan(アドラジャパン)事業部長

 ADRAはAdventist Development Relief Agentの頭文字をとったものですが、Adventist とはキリスト教の一派で、この一派が立ち上げた世界的な支援機関です。始まりは第一次世界大戦後、アドベンチス教会とその信徒たちが支援物資を配布したことです。1983年にADRAという正式名称になりました。第二次世界大戦後には、日本も約10億円の援助を受けています。その後日本も支援を受ける側から支援をする側になりたいということで、1985年に ADRA Japan が設立されました。病院、学校、福祉施設などに援助しています。大きな目標としては、人間の尊厳を実現、日本における人材の育成、日本社会に国際支援の啓発という三つを上げています。

 ADRAの本部はアメリカのメリーランド州にあり、世界120か国の支部でネットワーク活動をしています。最近開いたところはアフガニスタンと南スーダンです。現地の状況を調査したうえでADRA Japanとして何が出来るかを現地と連携しながらプロジェクトを立ち上げて実施しています。5本柱がありますが、1)食糧確保 2)経済開発 3)保健衛生と医療 4)緊急救援 5)教育となっています。緊急支援は別ですが、これらは全て一方的に支援するのではなく自立できる方法を指導することに留意しています。

 今日は、南スーダン、ケニアとジンバブエの活動について紹介させていただきます。南スーダンは一番新しく独立した国ですが、アッパーナイルのナシールが我々に事業地になっています。首都はジュバで、人口の72%が30歳以下の若い世代の多い国で成人識字率が27%になっています。これは非常に重い問題で常識的な質問さえ通じません。この1年間に病気をしましたかと聞いても病気の意味が分からいという状況です。熱が出ましたかという質問に対しても、体温計もなく平熱がどのくらいかも知りません。人口の50%が貧困家庭で1日1.5ドル以下の生活をしています。乳児死亡率は非常に高く、死後1年以内に10%がなくなっています。トイレアクセス率は80%でとりあえず決められた場所ですることは行われています。

 独立後2006年には海外からの支援で首都圏は驚くほど整備されました。ロータリーには噴水が造られライトアップされています。向かいにあるオフィスは停電しているのにとても不思議な状況です。

 2006年から約50万人の国内難民が発生しています。そこで食糧支援と基本的な社会サービス、保健教育や地雷除去の智識など様々な活動が行われています。2007年から2009年まで帰還民の受け入れを開始しました。エチオピアにある難民キャンプからの帰還を支援するということで、これが私たちの仕事でした。一時滞在センターであるシェルターを設けて72時間のみ滞在が許され、その後帰還ということになります。またすぐ500人の難民が到着するので長くは滞在できないのです。

 シェルターは100メートル四方で男性、女性半々の居住区にし、レンガを積んでトイレやシャワールームを作りました。資材は全てエチオピアから空輸しました。エチオピアの難民キャンプでは働くことを禁止していましたので、帰還した後の自立が困難です。多いときはバス10台、500人の難民が来ます。ウェイステイションに来ると先ず写真付きの登録をしてもらい、温かい食事を提供しました。2泊3日休んだ後、生活物資と食糧3か月分の配布を受け、最終目的地へ送り届けられます。2006年から2009年まで帰還民の受け入れと送り届けるという仕事をし、こういったことをしながら2009年からは識字教育、保健衛生教育、HIVの啓発、職業訓練などをしました。

 今は荒れ地を刈り取って学校を作り、給食も始めましたが政府の予算がカットされたので就学前の幼稚園児には給食が出来なくなりました。別の予算から続けていましたが、それも難しくなっています。識字教育は女性を中心に行いましたが、先ず数字で、これから生活していくうえで数字がわからないと買い物もできないし簡単に騙されてしまいますので数字は重要です。陶器作りのトレーニング、農業指導、また食事作りのトレーニングでは、大きな蟻塚を利用して竈を作りパンを焼き、売ることもしていました。HIVの啓発は、ナシールにエイズが多いからではなくエイズを広げない対策として行っています。衛生管理についてはゴミ捨て場を作ってごみをどこにでも捨てないことを指導し、みんなでゴミ集めをするクリーンアップデイも設けています。我々が去った後も自立できるようにさまざまな指導をしています。一応2年間と決めていますが、今ちょうどその時期に差し掛かっています。

 次にケニアの事業をお話しします。ケニアの事業は2012年に始まった新しい事業です。2011年に起きた60年ぶりの大干ばつに対する対応なのですが、元々アグラケニアがやっていた事業に我々も加わることになりました。ダルフールでは誘拐事件が多く我々のキャンプでも起きています。誘拐されてから72時間以内に救出しなければ海賊に売られてしまいます。

ケニアでは4月から6月までが大雨期、9月から10月に小雨期がありますが、2011年には全く降りませんでした。2011年1月には国連アピールが出て日本政府も支援を始めました。私たちは2012年の12月5日からウイニ中央県で活動を始めています。井戸を作って水管理をし、公衆衛生の指導と小規模農業も手掛けています。節水農法あるいはサック農法というもので、保水能力の低い土地では水がどんどん取られてしまいますので、30キロ用の麻袋や大きなビニール袋の中に土を入れて作物を栽培しています。

ジンバブエでは、2008年頃から超インフレに襲われ1兆億ドルのお札が発行され全く物がない状況が続いていました。ところが30年前はアフリカで治安もよく整備されていてジンバブエが一番住みやすかったそうです。マリの独立によって下水道システムのメンテナンスが出来なくなり、そのためにコレラが都市部で発生しました。コレラの致死率は5%位で高くはないのですが栄養状態が悪いと助からない結果になってしまい致死率が2倍になりました。

2009年からログエノースというアクセスの難しい奥地で井戸掘りと衛生管理の支援をしています。主要産業は綿花です。深井戸を掘るのが困難な土地なので浅井戸を掘ることにしました。深いほどきれいな水が出ると思うのが普通ですが、ここではフッ素が多く塩分も高くて飲めません。フッ素は飲むと骨を溶かしてしまいます。学校の中に井戸とタンクを作りましたので、生徒たちは水を汲んで持ち帰ることが出来ます。衛生教育は歌や踊り、演劇で覚えてもらうようにしています。子供たちの笑顔を守っていくのは大人たちなのかなと改めて思っているところです。

ADRA Japanの運営費は4000万円、事業費は別で、会員は賛助会員も含めて500人強くらいです。東日本の災害には15億いただきました。海外からも数億の援助をいただいています。寄付金総額が6000万から7000万です・